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パンフレット

旅のおすすめ記事最新トレンドから絶対外せない王道まで!熊本の楽しみ方をご紹介します

祝!通潤橋、国宝へ。山都町の名橋を巡ろう

中城明日香

県央エリア 自然 絶景 歴史・文化
写真:放水中の通潤橋

令和5年6月23日に国の文化審議会において、通潤橋(つうじゅんきょう)を国宝に指定するように文部科学大臣への答申が行われました。1854年に上益城郡山都町に建設された通潤橋、竣工から約170年を経て国宝指定への動きが今、注目を集めています。さらに山都町の橋に目を向ければ、通潤橋だけでなく、鮎の瀬大橋や馬見原橋(まみはらばし)など趣向を凝らした橋の存在が目を惹きます。そこで今回は、山都町の名橋をご紹介します。

・通潤橋
・鮎の瀬大橋
・馬見原橋

築170年、今も人々の心と台地を潤す通潤橋

通潤橋

1854年、通潤橋は上益城郡山都町にある白糸台地に農業用水を運ぶことを目的として建造されました。当時の知恵と技術を結集した石造アーチ橋は、建設から170年経った今も現役で地域の人々に大切に守られています。「国宝」として、県内では人吉市にある青井阿蘇神社に続く2例目ですが、土木構造物としては全国初の事例だとか。

写真:放水中の通潤橋

元々、通潤橋は周囲を峡谷に囲まれた白糸台地の人々の暮らしを見かねた惣庄屋の布田保之助(ふたやすのすけ)が、地域の水源を確保するために建設計画に乗り出したもの。通潤橋ができる約7年前(1847年)に完成していた石造アーチ橋・霊台橋を目の当たりにした布田は「石造アーチ橋であれば建設が可能かもしれない」と確信したと言います。

写真:石造アーチ橋、霊台橋

当時国内最大級の石造アーチ橋・霊台橋(写真上)を見た布田は、製作した八代の石工兄弟にすぐさま通潤橋の製作を依頼します。それは、霊台橋よりも高く、農業用水路としての機能性も携えている橋であること、それらを限りある財源で叶えること。いくつもの難題を乗り越え、当時の人々の叡智を結集して生み出した近世最大級の石造アーチ橋・通潤橋は、2016年の熊本地震や2018年の豪雨を見事に乗り越えています。

写真:通潤橋の上流側遠景

「そもそも通潤橋は、四方を谷に隔てられた白糸台地を潤すための農業用水路として渓谷に架け渡されたものです。石造アーチ橋の上には、約1メートル四方の石管(せっかん)をそれぞれ200個以上繋ぎ合わせた全長約120メートルにも及ぶ通水管が3列通っています。修理のしやすさや丈夫さを兼ね備えた独創的な構造は、近世のかんがい施設としては他に例のない傑作だと言われています」と話すのは、通潤橋史料館のガイド・石山信次郎(いしやましんじろう)さんです。

写真:通潤橋史料館のガイド、石山信次郎さん

石山さんいわく、耐久性に優れた構造も見どころだとか。凝灰岩製の石管の重量に耐え、かつ耐震性を高める工夫を凝らしています。熊本城の石垣を参考とした鞘石垣(さやいしがき)を導入するほか、内部には割石(わりいし)を入念に積む裏築(うらづき)の技術を駆使しています。元々、鞘石垣は城郭の石積み技能者集団・穴太(あのう)の技術ですが、通潤橋の建造では地元の石工たちがこれらの技術を習得していたそうです。

写真:展示物

通潤橋の建造は計画から完成に至るまで、地方の行政機構である「矢部手永(てなが)」の代表・惣庄屋(そうじょうや)の布田保之助が事業計画をまとめ、工事や費用の管理など、運営全般を担ったとか。通潤橋は、地域社会が藩との協議の中で社会資本整備を率先して担ったという点でも革新的な事例です。

写真:資料館の様子

通潤橋を一望する道の駅「通潤橋」には、通潤橋の歴史や背景がわかる史料館があります(入場料:大人310円、小中学生160円)。内部では当時の様子の再現VTRや橋の構造がわかる模型、実物大の石管などが展示され、地域にとっていかに重要な橋であったかが伺えます。

特に熊本藩では地方の行政機構が潤沢な自主財源を有していたため、地域の石工や大工の元に土木技術が蓄積することができたことで、その後に続く多くの土木事業を効率的に推進することができたと言われています。そうした技術継承の意味でも通潤橋は、九州における近世後期の石橋文化の象徴です。

写真:放水中の通潤橋を見る小学生たち

熊本における土木事業の積み重ねの上に成り立つ通潤橋。それは現代においてもなお、地域の農家の方々の手に委ねられています。通潤橋に引き込む水路の管理も、放水の栓をぬく作業もすべて地域住民の手作業です。通潤橋そのものはもちろん、通潤橋を取り巻く文化そのものも守り続けたい地域の宝物です。

スポット情報(2023年9月22日現在)
スポット名 通潤橋
電話番号 0967−72−1115(山都町役場商工観光課)
所在地 上益城郡山都町長原下市184−1(道の駅通潤橋)
URL 通潤橋(ホームページ)

自然と調和する斬新なデザインで魅了する名橋

鮎の瀬大橋

緑川をまたぐ山都町菅(すげ)地区と白藤地区を結ぶ「鮎の瀬大橋」。1993年から6年の歳月をかけて開通したこの橋は、「くまもとアートポリス」プロジェクトの一環で橋梁デザイナーの大野美代子さんによって設計されました。高さ140メートル、長さ390メートルのY字橋脚と斜張橋の複合型のアシンメトリーなデザインがめずらしい橋です。

写真:鮎の瀬大橋

深い緑に覆われた緑川の自然豊かな環境と調和する意外性のある斬新なデザインが目を引きます。橋の上には歩道が整備されており、全長390メートルの長さの橋を歩いて渡ることもできます。橋の袂には、展望台があり緑川渓谷の風景を眺めることができます。

写真:鮎の瀬大橋

鮎の瀬大橋が架かる緑川渓谷は、深さ140メートルのV字形のダイナミックな景観が圧巻。その風景を活かした橋づくりをコンセプトにデザインされた橋です。

鮎の瀬大橋は「橋を渡ること」に加えて、橋や橋のたもとから「谷の風景を眺めること」も大切にしています。また、空を背景に刻々と表情を変えるメタリックオレンジのケーブルは何度見ても飽きることはありません。

写真:鮎の瀬大橋の全景

1999年に「くまもと景観賞奨励賞」、2000年に「グッドデザイン賞」、2003年に「土木学会デザイン賞2002最優秀賞」を受賞。鮎の瀬大橋は、設計者・大野さんの作品集「BRIDGE」の表紙を飾っています。

写真:橋の上から眺める縁川渓谷の全景

橋の上から眺める縁川渓谷の全景。山の間を縫うように走る清流、そして光が降り注ぐ美しい山々の風景は、思わず見入ってしまうほど。山都町へ出かけたならぜひ一度は訪れてほしい名橋です。

スポット情報(2023年9月22日現在)
スポット名 鮎の瀬大橋
電話番号 0967−72−1115(山都町役場商工観光課)
所在地 上益城郡山都町菅488−1

しめ縄が揺れる夫婦岩と商店街を結ぶ唇型の橋

馬見原橋
写真:馬見原橋のしめ縄
写真:馬見原橋

宮崎との県境を流れる五ケ瀬川に架かる馬見原橋。かつて宿場町として栄えた馬見原商店街の入り口にある夫婦岩の間を抜けて渡る橋です。単に視覚的に目立つ建造物ではなく、地域の人々の心に息づくシンボルとなる橋であり、さまざまな過ごし方ができる憩いの場をイメージして設計されています。

写真:馬見原橋の全景
写真:橋の下層部分

設計者は1983年から磯崎新アトリエに入所、1991年に青木淳建築計画事務所を設立した青木淳さん。唇のような形をした遊び心あふれるデザインは、1995年にくまもと景観賞さわやかまちかど賞を受賞しています。

写真:橋の歩道
写真:五ヶ瀬川を覗ける円

馬見原橋は、上側が幅5.8メートル、下側が7.5メートル。上下の幅の隙間から歩行者は自然に橋の下側へと吸い込まれる設計です。地元の杉材を使ったという床の中央に開いた2つの円を覗けば、足元を流れる五ヶ瀬川の清流を眺めるユニークな仕掛けも設計者の人柄を感じます。

写真:馬見原橋の入口
写真:馬見原橋から見る景色

道路や地形など周辺環境の持つ文脈に基づく設計は、“見たことのあるものにわずかに手を加え、少しだけ違う世界を見せる”というものです。

馬見原橋に使われているのは、あくまで土木の現場で多用される標準的な建材ばかりです。けれども、日常の中にあるワクワク感を引き出すには必要十分なデザインがなされています。「ディテールを描いたのは、下弦橋の手摺だけ。まるでデザインされていないように見えるデザインにしました」と話す設計者の青木さんは、日常とつながる少しの遊び心が見える世界を変える、そんなことをデザインを通じて教えてくれているようです。

スポット情報(2023年9月22日現在)
スポット名 馬見原橋
電話番号 0967−72−1115(山都町役場商工観光課)
所在地 上益城郡山都町滝上

中城明日香

大分県生まれ、熊本市在住の編集者・ライター。
地域の出版社・編集プロダクションを経て、独立。

自然、暮らし、農業、教育、観光、ファッション、アートなど、“毎瞬”を楽しむ姿勢で幅広いジャンルの記事を手がける。仕事もプライベートも書くことが生業。

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