熊本ゆかりの大河ドラマの登場人物 『麒麟がくる』の「細川ガラシャ」

5分でまる分かり 細川ガラシャ

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細川ほそかわガラシャを囲む人々

細川ガラシャを知るには、まず周りの人々との関係を知りましょう。
誰でも知ってる歴史上の偉人たちと、実はこんな接点があったんです。

ガラシャを囲む人々

細川家二代目当主・細川忠興が織田信長の小刀の柄にあしらわれた九曜紋(くようもん)に魅せられ、信長の許しを得て家紋にしたといわれています。九曜の文様は平安時代からお守りの意味で用いられましたが、家紋としては、武士が妙見信仰(妙見は武神と考えられていました)に基づいて用いたものが多くあります。細川家の九曜紋は、他の九曜紋と比べ、それぞれの円の間隔が離れているのが特徴。他の九曜と区別して「細川九曜」「はなれ九曜」とも呼ばれています。

からし蓮根

忠利が病弱だったため、藩の賄方が滋養強壮食として考案。前の城主・加藤清正が城の外堀で栽培していた蓮根に、和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め黄色の衣をつけて揚げたものを献上したことが始まりといわれています。輪切りにした断面が細川家の九曜紋(くようもん)に似ていることから当時は“門外不出の料理”とされました。

からし蓮根
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細川ガラシャを知る─
まる分かりエピソード

さまざまな逸話の残る細川ガラシャ。その中から、いくつかをご紹介♪

Episode 1 
ガラシャがどんな人だったかわかる!

戦国の世に咲いた一輪の花
明智 玉(たま)(玉子(たまこ))誕生!

明智 玉(たま)(玉子(たまこ))誕生!
細川ガラシャは本名を明智 玉(玉子)といい、永禄6年(1563年)、明智光秀の娘として、越前国(現・福井県)に生まれました。気高く聡明で才色兼備、戦国時代随一の美人だったといわれています。

Column

細川ガラシャを演じた女優たち
戦国時代随一の美人だったという細川ガラシャ。
映画やドラマでも名だたる美人女優たちが演じています。

  • 橋本マナミ:真田丸(2016)
  • 黒谷友香:利休にたずねよ(2013)
  • 美村里江:江~姫たちの戦国~(2011)
  • 長谷川京子:功名が辻(2006)
  • 石川梨華:国盗り物語(2005)
  • 鈴木京香:葵 徳川三代(2000)
  • 田村英里子:秀吉(1996)
  • 戸田菜穂:織田信長(1994)
  • 今村恵子:信長 KING OF ZIPANG(1992)
  • 加納みゆき:徳川家康(1988)
  • 丸尾りえ:徳川家康(1983)
  • 岡まゆみ:おんな太閤記(1981)
  • 栗原小巻:関ヶ原(1981)
  • 島田陽子:黄金の日日(1978)
  • 津山登志子:新書太閤記(1973)
  • 林寛子:国盗り物語(1973)
  • 岸惠子:敵は本能寺にあり(1960)
  • 伏見直江:殉教血史 日本二十六聖人(1931)

Episode 2 
織田信長がキューピット!

ガラシャ15歳で細川忠興の妻に

15歳になったガラシャは、織田信長の勧めで細川家2代当主・忠興に嫁ぎます。二人は同い年で、ともに名家の出身、当代きってのイケメンと美女の結婚とあって、世間からは羨望の的でした。若い夫婦の姿を見て、信長も「まるでお人形さんのように愛らしい」と喜んだとか。忠興とガラシャは仲むつまじく、三男三女の子宝に恵まれ、幸せな日々を過ごしました。

Episode 3 
その美貌が庭師の命を奪った!

忠興の“ガラシャ愛”が止まらない!

戦の達人で戦国武将としての功名を立てる忠興は、利休の高弟でもあり、まさに文武両道。しかし、『茶道四祖伝書(ちゃどうしそでんしょ)』という書物には「天下一気が短い人物」と記されるなど、その人物像はとってもユニーク。
美しすぎる妻をめとった忠興は、大変なやきもち焼きで「ガラシャの美貌に見とれていた」という理由だけで庭師を処罰したこともあるのだとか。

Episode 4 
ガラシャは忠興にすご~く愛されていたんだ!

「本能寺の変」でガラシャ、ピンチ!
忠興の幽閉は、愛のカムフラージュ

忠興の幽閉は、愛のカムフラージュ「ガラシャは忠興にすご~く愛されていたんだ!」
妻として、母として、平穏な日々を過ごしていた19歳のガラシャでしたが、父・明智光秀が主君・織田信長を討った「本能寺の変」で状況は一変!ガラシャは“謀反人の娘”となってしまったのです。忠興は、信長の家臣による報復からガラシャを守るために離縁した上で、山深い地に幽閉。「共に兵を挙げよ」という光秀の誘いを断り、その娘を幽閉することで、豊臣秀吉への誠意を明らかにしたのです。謀反人の娘として殺されることも珍しくなかった時代、忠興の愛がガラシャの命を守りぬいたのです。

Episode 5 
忠興に内緒でキリシタンに!

キリシタンとして生きる
玉からガラシャへ

やがて秀吉に許され、幽閉を解かれたガラシャは細川家の屋敷へ。後に熊本藩初代藩主となる忠利が生まれたのは、2年後のことです。この頃にガラシャはキリスト教に出逢い、その教えに心惹かれていきました。忠興が九州平定へ出陣すると、その隙にこっそりとガラシャは教会へ。忠興の命により外出もできなくなると、小侍従を教会に通わせては、教義を伝え聞いて学ぶほど、キリスト教に傾倒していきました。そして秀吉による「バテレン追放令」が出される中、ついに洗礼を受けることになったのです。洗礼名である「ガラシャ(Gracia)」とは「神の恵み」のこと。改宗を迫った忠興もその信仰を貫く姿についに折れ、ガラシャのために聖堂を造ったといわれています。

Episode 6 
38歳で早逝・・・

信仰と誇りを胸に美しく散る

秀吉の死後、戦乱の世の実権を握った徳川家康に対して、ついに石田三成が挙兵。細川家の屋敷を取り囲み、ガラシャを人質に差し出すように迫りました。ガラシャは家臣への指示を済ませ、子どもたちへの形見の品や手紙を確認すると、「心にかかることなし」と家臣に刀で胸を突かせて、絶命しました。自殺を禁じるキリスト教徒として信仰を守り、細川家を安泰へと導いたのです。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」(散るべき時を知っているからこそ、花は美しい。人も同様にありたいものです)

辞世の句は、享年38と短くも凛と美しく咲き誇ったガラシャの生きざまそのものを表しています。

Episode 7 
熊本にあるガラシャの墓は国指定史跡

令和の熊本を静かに見守る
忠興とガラシャ

ガラシャの訃報に声を上げて泣いたという忠興。妻の信仰を受け留め、最後は葬儀のミサで見送ったと伝えられています。徳川家康が江戸幕府を開くと、細川家は徳川幕府第3代将軍家光から寛永9年(1632年)に熊本藩を拝領し、ガラシャの三男 細川家3代・忠利が肥後へ入国。細川家に熊本藩主時代が始まります。忠利は、祖父・藤孝(ふじたか)と祖母・麝香(じゃこう)、母・ガラシャを祀る寺を建立。また、正保3年(1646年)に、ガラシャの孫にあたる細川家4代・光尚(みつなお)が、ガラシャの隣に忠興を祀りました。藤孝夫妻と忠興、ガラシャが眠る「四つ御廟(ごびょう)」は、緑深い「立田山(たつだやま)自然公園 泰勝寺跡(たいしょうじあと)」 (熊本市)に佇んでおり、「熊本藩主細川家墓所」の名称で国史跡に指定されています。

Column

ガラシャの訃報に声を上げて泣いたという忠興。妻の信仰を受け留め、最後は葬儀のミサで見送ったと伝えられています。徳川家康が江戸幕府を開くと、細川家は徳川幕府第3代将軍家光から寛永9年(1632年)に熊本藩を拝領し、ガラシャの三男 細川家3代・忠利が肥後へ入国。細川家に熊本藩主時代が始まります。忠利は、祖父・藤孝(ふじたか)と祖母・麝香(じゃこう)、母・ガラシャを祀る寺を建立。また、正保3年(1646年)に、ガラシャの孫にあたる細川家4代・光尚(みつなお)が、ガラシャの隣に忠興を祀りました。 藤孝夫妻と忠興、ガラシャが眠る「四つ御廟(ごびょう)」は、緑深い「立田山(たつだやま)自然公園 泰勝寺跡(たいしょうじあと)」(熊本市)に佇んでおり、「熊本藩主細川家墓所」の名称で国史跡に指定されています。

忠興、ガラシャが眠る「四つ御廟(ごびょう)」
忠興、ガラシャが眠る
「四つ御廟(ごびょう)」
立田山(たつだやま)自然公園 泰勝寺跡(たいしょうじあと)
立田山(たつだやま)自然公園 
泰勝寺跡(たいしょうじあと)