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パンフレット

金栗四三さんが大河ドラマ「いだてん」の主人公のひとり

熊本が誇る日本マラソンの父金栗四三さんは、こんなにスゴイ人なんです!!

この人がいなかったら、日本のマラソンの歴史は変わっていたかもしれない……。 そこまでの功績を残した人物が、大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人、金栗四三さんです。明治24年に玉名郡春富村(現・和水町)で生まれ、走る事に目覚めた少年が、日本人初のオリンピック出場を果たし、計3回出場。マラソン普及の為に、下関—東京間、樺太—東京間、九州一周を成し遂げ、正月の風物詩「箱根駅伝」も発案。生涯に走った距離は、25万キロ! 地球6周と4分の1!! まさに、マラソン普及の為に走り続けた、歴史に残る偉人です。

金栗四三

日本人初のオリンピック選手!

明治45年、日本中の期待を背負い「第5回ストックホルム大会」へ。猛暑に見舞われた過酷なレースだったこともあり、26.7キロ地点で気を失いコースアウト。地元のペトレ家に助けられ、「棄権」の届け出なく直接宿舎に帰ったため、スウェーデンでは「消えた日本人」「消えたオリンピック選手」として語られるようになりました。「第7回アントワープ大会」は16位、「第8回パリ大会」は32.3キロ地点で棄権。

マラソン世界最長記録!

行方不明扱いになり、現地で「消えた日本人」と話題になった四三さんは、昭和42年に再びストックホルムを訪れ、念願のゴールを果たします。その記録は「54年8カ月6日5時間32分20秒3」。「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、6人の子どもと10人の孫に恵まれました」との言葉を残している。

箱根駅伝の創設者!

日本のスポーツ教育にも力を入れた四三さん。そのひとつが、今では正月の風物詩として知られる「箱根駅伝」です。マラソン選手の育成には駅伝競走が必要と考え創設を呼びかけ、大正9年に駅伝大会を開催。

日本ランニングシューズの原点「金栗足袋」

地下足袋のような履物で走っていた当時。ストックホルムで見た外国人の靴をヒントに、ゴム底のシューズを開発。多くの日本人が「金栗足袋」を履いて走りました。江崎グリコの「ゴールインマーク」の2代目モデルの一人は、実は四三さん!
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