森井さんが茶懐石を学ぼうと足を踏み入れた理由に、「一つでも引き出しを増やしたい」という想いがあった。前述したように、料理の世界はカウンセリングなしの一発勝負。お客さまの要望に答えるためにも、多くを学び、引き出しを増やしていったというのだ。
そして、「この人たちと一緒にお客様をお迎えしたい」と浮かんだ生産者さんたちの顔。「こんなにパワーのある人たちが揃っているんだから、そのことを『善』を通して伝えたい」。そう考え、森井さんはプレミアムコースに「熊本茶懐石」を選んだ。
最初に浮かんだのは、「岳間茶寮 好信楽」のヒロトガワさん。2021年、山鹿市に移住した茶師だ。茶懐石はお茶を楽しむための食事のこと。「お茶の存在は欠かせませんが、敷居が高くなってはもったいないと思っていて。ヒロさんたちは、礼儀作法よりも、純粋にお茶を楽しんでくださる人を1人でも増やしたいという想いを持ち、カジュアルなスタイルでお茶の魅力を発信されているんです」。
森井さんが尊敬するひとりに熱烈オファーし、このコースが実現した。
茶懐石のはじまり。まだ緊張感に包まれた中、ヒロさんがお茶を煎れる。使用されるのは、熊本県産の茶葉をオリジナルブレンドした緑茶。ヒロさんは「日本特有の旨みを感じるお茶です」と説明しながら提供する。
それは、出汁のような旨みを感じる味わい。ゲストは皆、その日本独特の旨味に驚き、二煎目の味の変化に、さらに驚く。
海外のゲストのために用意された英訳された献立
席を移すと、森井さんからの挨拶。ゲストへの感謝の気持ち、これから始まる食事の説明を行うが、「あくまで、茶懐石のカジュアルスタイルです。気楽に過ごしてください」という補足は忘れない。
カジュアルなスタイルで日本文化を体験できる「熊本茶懐石」は、「茶の湯」を敷居の高いもの…と感じてしまっている日本人にも、一歩を踏み出しやすいものだろう。
向附 ― 天然真鯛のお造り・飯・汁物
最初に運ばれてくる「向附」には、天然真鯛のお造り、飯、汁物が並ぶ。ご飯が少ないのには意味があり、「羽釜ごはんが今、炊き上がりましたよ」というメッセージが込められており、これもまたゲストへのおもてなし。
天然真鯛の味付けには、森井さんが「パワーのある一人」と断言する農家の茅畑さんのタマネギを使用。千切りにし醤油と和えることで、タマネギの香りを纏った加減醤油が完成。
「善」を支える数多い生産者の一人・茅畑さん
みずみずしさが伝わる圃場
荒尾でタマネギやニンジンなどを育てる「クルンノウエン」の茅畑さんは、肥料・堆肥・農薬を使用せず、さらに防虫作業も行わない生産者。微生物の力を借り土作りを行い、美味しく元気な野菜を育てている。
まるで刀のような包丁。そのフォルムも美しい
人から「サムライ」と呼ばれる森井さん。調理する際に欠かせない道具の一つ・包丁は、今回、「西田刃物工房」に依頼した。専門学校時代から使い続け、その都度磨いてきた包丁があるなど、とにかく道具を大事にする森井さん。「いかに、自分の動きに合うかを道具に求めています」。その想いを叶えてくれたのは、南関町にある「西田刃物工房」の西田さん。
西田さんは、鍛造師としては若手ながら、20年以上のキャリアを持つ実力派。和式刃物を専門に多くのメンテナンスも行なっている。依頼したのは、「大きい食材に負担の少ない包丁」。素材の美味しさを存分に伝えるため、「切る」という工程は、できるだけ食べる直前に行いたい森井さん。「寸前に切ること。そして、食材が切られたことに気づかないように切ることにこだわっています」と話す。
刃先の鋭角は、森井さんの動きにピタリとハマり、美しい切れ味。切り方一つで、刺身など食材の食感が変わるというから、ぜひ尋ねていただきたい。
煮物椀 ― クルマエビ・アスパラ・ハマグリ出汁・グリーンピースのすり流し
煮物椀には、この日はクルマエビ、アスパラ、ハマグリの出汁とグリーンピースのすり流しで春の野の色を表現。
焼き物 ― サワラのウニ焼き
焼き物は「サワラのウニ焼き」。焼き上げたサワラの上に白ウニをのせ、天草の塩で味を加えたシンプルな一品。ふっくらとしたサワラに濃厚なウニがよく合う。
お客の表情、食事のスピードなどで、その都度メニュー構成を調整していく森井さん。この日は、次の一品ができるまでの箸休めに、和水町の酒蔵「花の香酒造」の日本酒で5時間炚いた天草のアワビを。味付けはなし。そんなシンプルな料理だからこそ、アワビの柔らかさ旨味に感動する。
「善」は熊本の食の豊かさを伝える場所。出来るだけシンプルに、食材の旨味を味わってほしいという森井さんの想いが詰まっている一品だ。
焚き合わせ ― 小蕪・米ナス・ヨモギ麩・阿蘇あか牛(7時間炊き)
洋風鍋の蓋を開けると、小蕪・米ナス・ヨモギ麩、そして阿蘇の放牧牛の第一人者・井さんのあか牛を7時間炚いた焚き合わせが登場。
本来の茶懐石は、並んで座り、食事は一人ひとりが皿から取り、次の人へ…となっているが、ここはカジュアルスタイル。森井さんが、料理の説明と共に、一皿ひと皿取り分けてくれる。
和え物 ― 和水町のほおずきと春菊、新ジャガ
一皿ひと皿に感動していると、お茶が運ばれてくる。
食中茶としてヒロさんが選んだのはほうじ茶。水俣「お茶の坂口園」の茶葉をヒロさんがほうじたもので、香ばしさが広がりほっとする。
酢の物 ― アオリイカとセリ、ウルイにレモン
「八寸」には天草の伊勢海老を。菜の花のおひたしが添えられている
茶懐石はお酒も楽しむもの。酒盗にはホタルイカの麹漬けを
「香の物」に沢庵が欠かせないのには、「茶懐石」の習わしがある。最後までテーブルに残っていた飯碗に、いり米の入った湯涌の湯を注ぎ、沢庵でこそぎながら食するのだ。
「細かく包丁の入った沢庵で茶碗をきれいにすることが、食事を楽しんだことへの亭主へのお礼の習わしなんです」。おもてなしへの感謝の気持ちを込めて、いただきたい。
「熊本茶懐石」もフィナーレを迎えようとしている。同じく玉名市に店を構える「ロワゾーブルー」の霜上さんに、抹茶に合うデザートを依頼すると、驚くことに「抹茶のテリーヌ」を提案されたと言う。
その濃厚さとしっかりと感じる抹茶の味わい。森井さんが添えた桜の塩漬けの香りと塩気がベストマッチ。
ヒロさんの奥さま、ジュンコさんが淹れるお薄茶へと続く。手にしている茶碗は、上天草の「蔵々窯」のものだ。
同じものを二つと作ることのない、独創的なセンスの持ち主・許斐さん。その作風に惹かれ、森井さんも何度となく陶芸教室に通ったという。「大きめで存在感のあるお茶碗。あとは、許斐さんの感性でお願いします」。ただその言葉だけを伝え、たった2日間で仕上がってきたのが、このお茶碗たちだった。ろくろ目や風合いは森井さんの心をくすぐり、この「熊本茶懐石」のイメージは完成した。
天草陶磁器で経験を積み、上天草・維和島に窯を構えた許斐さん。
抹茶はヒロさんたちが住む地域にある「岳間製茶」が製造した抹茶「千夏」を使用
千利休によって広まり、日本文化として欠かせない「茶の湯」。その利休の伝統を受け継ぐ熊本の地で味わう「熊本茶懐石」は、「おもてなしの心」「食への感謝の心」が詰まったプレミアムコースだ。肩の力を抜いて、お茶と食事を存分に堪能いただきたい。