こころが
熱くなる
対話の旅へ。

KUMAMOTO Blue DIALOGUE

阿蘇 ASO,
KUMAMOTO

画家 松永健志 PAINTER,
MATSUNAGA TAKESHI

語られる
物語の数だけ、
熱い愛があった。

A Story with
Aso,Kumamoto.

熊本在住の画家・松永健志にとって、阿蘇は特別な場所だ。
ふしめ、ふしめに訪れては、絵筆をにぎる。
自然とともに生きる人々の暮らしと営み。
生きとし生きるすべてを包みこむ、緑のグラデーション。
美しく、いのちの豊かさあふれる阿蘇が、彼を呼んでいる。
人を愛し、自然を愛し、熊本に愛される画家は、
黄色いキャンバスを持って小さな旅に出た。

2016年4月。2度の震度7という未曾有の大地震が熊本を襲い、阿蘇エリアでも至るところで甚大な被害がひろがりました。あれから7年。阿蘇はいま、ひとつの転換点を迎えています。2023年7月に熊本地震の記憶を伝える体験・展示型施設「KIOKU」(南阿蘇村)がオープンし、「南阿蘇鉄道」が全線運転再開。1212月には、阿蘇のシンボルといえる阿蘇神社・楼門の復旧工事が終わり、元の姿であたらしい年を迎えました。移り変わる風景のなかで、つづくもの。阿蘇で生きることを模索した人々との、じんわり熱い対話の旅へ。旅をしながら描いた絵とともにお届けします。

TRAVELER

MATSUNAGA
TAKESHI
松永 健志

1985年生まれ、熊本市在住の画家。日常のあらゆるものが愛おしく感じられる作風が特徴。2018年熊日美術公募「描く力2018」グランプリ受賞。2021年に画集「WHITE」出版。2024年4月より南阿蘇村の白水郷アートプレイスにて個展開催。くわしくはインスタグラム(@matsunagatakeshi85)で確認を。

KUMAMOTO BLUE DIALOGUE
PLACE

阿蘇
ASO

熊本県の東部、大分県と宮崎県の県境近くに位置する阿蘇エリア。
世界最大級の大きさを誇るカルデラを有する阿蘇火山は、
“火の国”熊本の象徴。いたるところで、心が動かされる
圧倒的なスケールの大自然が広がります。
カルデラ内で暮らす人々の歴史や営み、
文化も観光のみどころのひとつです。

01
「記憶」が教えてくれること

PLACE
熊本地震 震災ミュージアム KIOKU

STORY
TELLERvol.01

久保 尭之

久保 尭之
KUBO
TAKAYUKI

1991年生まれ、鹿児島県出身。東京大学工学部卒。東北の一次産業の復興支援を経て、熊本地震を機に阿蘇へ。熊本地震震災ミュージアム「KIOKU」統括ディレクター、専門学校「イデアIT カレッジ阿蘇」ディレクター兼講師、みなみあそ観光局 戦略統括マネジャーなど、阿蘇観光の“顔”となっている。

01
「人が自然と生きるには
どうしたらいいんだろう?」
そんなことを考える、
ひとつのきっかけの場です。

久保いま「KIOKU」には、地元のガイドさんが50人ほど働いています。地震って、戦争と違ってなくすことができなくて、ある意味、とても“理不尽”に起こってしまう災害です。だからそれをわかったうえで、暮らしをつくっていかないといけないよね、自然とともに生きるにはどうしたらいいんだろうね、ということをみんなで考える場にしていけたら。だからこそあの経験を「つらかった」だけで終わらせるのではなく、それが「誰かの役に立つ」ところまで見届けられることは、地元の方にとっても凄くよいことだと思うんです。僕らがこうして語り継ぐ側になることが、防災を含めた“生きる知恵”のバトンを未来につないでいくことになる。そう信じています。

02まだまだやることが
あるから、阿蘇を
離れられないんです。

KIOKU 写真 01

久保僕は熊本地震の3日後に阿蘇入りして、気づけばずっとここにいる(笑)なんで阿蘇を離れないかというと、ここで「やるべきこと」がたくさんあるから。地震はもちろん大変だったけど、意外と阿蘇の人たちは、ここにのこって暮らし続けてるんだよって。そういうことももっと伝えないと。住み続けるには防災の知恵も必要で、あたらしい経済の形も模索しないといけない。阿蘇だからできる仕事と暮らし、観光のありかたをつくっていきたいんですよね。

KIOKU 写真 02KIOKU 写真 03

SPOT INFORMATION

熊本地震 震災ミュージアム KIOKU

南阿蘇村の旧東海大学阿蘇キャンパス内にオープンした、未曾有の災害の記憶と教訓をいまに伝えるミュージアム。展示やシアター、震災遺構を通して、人と自然の共生について考えられる内容になっている。

https://kumamotojishin-museum.com/kioku/

02
“地域のひとつ”としての
ローカル鉄道

PLACE
南阿蘇鉄道

STORY
TELLERvol.02

山本 英明

山本 英明
YAMAMOTO
HIDEAKI

南阿蘇鉄道株式会社営業主任兼運輸助役。
2015年に入社し、入社2年目で熊本地震が発生した。

01「全線運転再開」。
ふたたび道がつながるまでの
7年3カ月は、
長い長い道のりでした。

山本JR豊肥本線の立野駅を起点とする南阿蘇鉄道(南鉄)は、阿蘇カルデラの南側を走り、高森駅までの路線で運営しています。熊本地震の被害はすさまじく…立野―中松間は第一白川橋梁などの重要なインフラが被災したこともあって、「廃線を考えるほどの被害だった」と社長が言ったほどです。ですが、地域の重要な公共交通機関であること、阿蘇観光の象徴ともいえるトロッコ列車を廃止するわけにいかないと、「全線再開」を決意しました。2023年7月15日に完全に復旧するまで、7年3カ月という長い道のりでしたね。

松永山本さんが入社2年目のときに南鉄は被災されたんですね。当時の率直な気持ちを聞いてもいいですか?

山本僕は運転免許をとるために、1年間北九州に出向していたんです。戻ってきたのが2月で、3月頭にやっとひとり立ちできた矢先の地震でした。うち(南鉄)は社員数も多くなく、みんな色んな仕事を兼務しながら業務を行っているので、正直「今後どうなっていくんだろう」という不安はありましたね。ただ、早い段階で再開すると決めていただいたおかげで、一人ひとりが「その日」に向けて気持ちを切り替えていけた、という感じだったんじゃないかなと。

02トロッコでも、普通列車でも、沿線にいる方が
必ず手を振ってくれるんですよ。必ずです。
ふつうの、地元のおばあちゃんとかが。

松永本当に長かったですよね。ところで山本さんは、どうして南鉄さんに入社されたんですか?昔から電車の車掌さんになりたかったとか?

山本南鉄が走るのは短い距離なんですが、やっぱり、この雄大な阿蘇の大地をぐんぐんといく、唯一無二の格好よさに惹かれたのが一番で。トロッコでも、普通列車でも、沿線にいる方が必ず手を振ってくれるんですよ。必ずです。ふつうの地元のおばあちゃんとかが。これってなかなかないなあと思っていて、この鉄道は「地域のひとつ」なんだということを毎日実感しています。地域の人たちが、心から大切に思っていることがつたわるんですよ。

南阿蘇鉄道 写真 01

松永あらためて、いまのお気持ちを聞いてもいいですか。

山本南鉄復活は、僕らだけではなく、南阿蘇で暮らす“地域の方の願い”だったとも思っています。ですから、その夢がようやく叶ったのが非常に感慨深いなと。7年かかったけれど再開できて、いまこうしてあらためて、地域の方の役に立てていることが、このうえなく嬉しいことです。

南阿蘇鉄道 写真 02
南阿蘇鉄道 写真 03
南阿蘇鉄道 写真 04
南阿蘇鉄道 写真 05

SPOT INFORMATION

南阿蘇鉄道

地元の公共交通機関としてだけでなく、観光に欠かせないローカル色豊かな鉄道として愛される。全線運転再開を記念して誕生した漫画「ONE PIECE」とのコラボ列車「サニー号トレイン」が全国的な話題に。

https://www.mt-torokko.com/
南阿蘇鉄道 写真 06
南阿蘇鉄道 スケッチ

03
阿蘇の人のつよさについて

PLACE
Minaaso マルデン

STORY
TELLERvol.03

増田 一正

増田 一正
MASUDA
KAZUMASA

阿蘇あか牛ステーキ「Minaaso マルデン」オーナーシェフ。旧阿蘇大橋のたもとにあった店が被災し、キッチンカーでの営業期間を経て移転オープン。地元有志と立ち上げた「(株)REASO」では「夜の山散歩」などの体験型プランを企画。

マルデン 写真 01 マルデン 写真 01

01
「再開できてよかったね」じゃなくて、
「再開してうれしい」って言ってくれる。
うれしいって言われると、
こっちまでうれしくなる。

増田うちは旧阿蘇大橋のたもとに店があって、被害が本当に大きくて。とても再開できるような状況じゃなかったんですね。いまの店舗があるここ(南阿蘇村河陽)は自宅があった場所だったんですが、ここも全壊で。実はほかの場所での再建も考えはしたんですけど、もう一度想いを込めるなら、やっぱり生まれ育った場所である南阿蘇しかないと思いました。それが僕がやる意味かなと。あと、お客さんが「再開してよかったね」じゃなくて「再開してうれしい」って言ってくれるんです。うれしいって言われると、こっちまでうれしくなる。「そうそう、この味だったね」って、自分ごとのように喜んでくださるから、踏ん張ってよかったなって思います。

マルデン 写真 02 マルデン 写真 02

02
大きな山のなかに
営みがあって、暮らしがある。
見えない力に守られているんです、僕らは。

増田新店は「元に戻す」というよりパワーアップしたかも(笑)メニューもコースのみで、内容も厳選しました。阿蘇には「あか牛」というすばらしい資源があるので、これを存分に味わってほしいと。炭火で焼いて、熱々のスキレットでご提供しています。南阿蘇は本当に水がおいしいので、肉も、野菜も、米も抜群にうまい。
実は地震後に福島のラーメン屋さんとつながりができて、ずっと何かと気にかけてくださるんです。おばちゃんたちの店も津波で全部流されたけど、また海の近くで再建されたんです。そういう話を聞くと、やっぱりなんか、一緒だなあと。阿蘇に住んでいてあらためて思うのは、山に囲まれて、そのなかに営みがあって、暮らしがあって。見えない力に守られているんだと思うんです、僕らは。

SPOT INFORMATION

Minaaso マルデン

スキレットで登場する絶品あか牛ステーキは、ブランド牛の“阿蘇王”! 南阿蘇産の米と無農薬野菜を使ったメニューにこだわるコース料理は、前菜・スープ・メイン・ドリンク・デザートまでついて3,080円〜(予約がおすすめ)。

https://www.minaaso.com/
マルデン 写真 03

04
復興・鎮魂・未来への灯り

PLACE
阿蘇神社

STORY
TELLERvol.04

山部 雄作

山部 雄作
YAMABE
YUSAKU

阿蘇神社のほど近くにある「ヤマべ印刷」3代目。熊本市内外の個人・団体から寄付を募って復興の灯りを灯す新しい祭り「阿蘇復興 ちょうちん祭」実行委員長。

終着地は、
「阿蘇復興ちょうちん祭」
の会場である阿蘇神社。
空が徐々に暗く変化して、
幻想的な白い提灯が、
ふんわりと浮かびあがる。
提灯の数は、およそ900。
刻まれたのは、寄附者の名前。
圧巻だった。
たとえいまこの場所にいても、いなくても。
阿蘇をつよく想う一人ひとりの心が灯らせた、
願いの光だった。

終着地は、
「阿蘇復興ちょうちん祭」
の会場である阿蘇神社。
空が徐々に暗く変化して、
幻想的な白い提灯が、
ふんわりと浮かびあがる。

阿蘇復興ちょうちん祭 写真 01

提灯の数は、およそ900。
刻まれたのは、寄附者の名前。
圧巻だった。たとえいま
この場所にいても、いなくても。
阿蘇をつよく想う
一人ひとりの心が灯らせた、
願いの光だった。

阿蘇復興ちょうちん祭 写真 01

旅の終わり。
画家は、まばゆく灯る
光の壁を見上げた。

阿蘇復興ちょうちん祭 写真 02

山部地震直後は、果たしてこの楼門が元に戻るんだろうか…そう思った方がほとんどだったと思います。ずっと地元にいる僕らとしては、段階的に復旧の様子を見れていたので、希望はあったんです。今回、阿蘇神社の楼門復旧に合わせて企画された「阿蘇ちょうちん祭」は、“復興”・“鎮魂”・“未来”への灯りをテーマにした祭り。祭りが終わったあとも阿蘇に灯りを灯しつづけたいということで、大提灯はずっと残ります。会期中、本当に多くの方がこの場所で空を見上げているのを見ました。一つひとつの灯りは小さいけれど、こうやって集まると、すごく熱いパワーを感じる。皆さんの魂というかね、そういうものが込められている気がするんです。

阿蘇復興ちょうちん祭 写真 03 阿蘇復興ちょうちん祭 写真 03

SPOT INFORMATION

阿蘇復興 ちょうちん祭

阿蘇神社楼門の再建を祝い、地震の犠牲者を追悼する「阿蘇復興 ちょうちん祭」が地元の有志たちによって企画・開催された(2023年12月2日〜17日)。今後は4月16日前後に毎年開催予定。

阿蘇復興ちょうちん祭 写真 04
阿蘇復興ちょうちん祭 スケッチ
松永健志