ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.165 「浜の館」と阿蘇大宮司

講師/熊本県文化財保護審議会会長 阿蘇品保夫さん

 かつて、中世の頃、阿蘇家は矢部郷浜町に本拠を構え栄えました。それは「浜の館」といわれました。
 今年、山都町では町の記念事業として、「浜の館」と阿蘇家入領にちなんだシンポジウムや展示会が行われることになっています。
 今回のふるさと寺子屋塾では「浜の館」の発掘にも携わられ、「阿蘇社と大宮司」という著書も著されている阿蘇品保夫さんを講師にお迎えし、幻といわれた「浜の館」のこと、その歴史的意義、そして阿蘇大宮司家などについてご講話いただきました。


発見された宝

 「日本列島改造論」のもと各地で道路建設工事が急ピッチで進められていた時、熊本県では土の中に眠る文化財を守らなければならないと、昭和47年(1972)頃から文化課による発掘調査が特に盛んに行われるようになり、学校の改築にも事前の調査が必要になりました。「浜の館」の伝承が残る矢部高校も改築されることになって、校庭などの土を掘って事前調査が行われました。
 伝承によれば3歳の大宮司・阿蘇惟光が島津氏との戦を避けて、浜の館から逃げ出す際に文書類は男成社宝殿に、またほかの宝物は「人知らざる穴蔵に」隠したと『拾集昔話』(渡辺玄察、元禄5年〔1692〕)に伝えられていました。この伝承を頼りに試掘を進めると、まず、家屋の礎石、柱穴、庭園の跡が確認され、「浜の館」の伝承が事実であったことが証明されました。
 そして、昭和49年(1974)、発掘調査のいよいよ最終日という2月22日、その日はとても寒い日でした。もう土をかけて元に戻さなければならない、ブルドーザーの契約期限もあと数時間に迫っていた時、庭石跡に土の色が違う落ち込みがあり、桑原憲彰県文化課技師(後の熊本県装飾古墳館館長)が長年の勘から違和感を覚え、そこを掘ってみると、第1の穴からは館陥落のとき隠したものと見られる黄金の延板1個、白磁の置物2個、玻璃(ガラス)杯3個、第2の穴からは三彩鳥型水注一対、緑釉水注二対、緑釉陰刻牡丹文水注一対、三彩牡丹文瓶一対、染付牡丹文唐草文瓶一対、青磁盒子1個という大宮司家の遺宝が発見されました。これらは明時代の中国の南の方からの輸入品です。土の中に隠さなければならないほどの大切なものであったことは明らかで、いずれも一対になっていたことから祭神として使用されていたものと考えられます。出土品21点は、昭和61年に国の重要文化財に指定されました。

鳥型水注はどう使われたか

 それでは、鳥の形をした珍しい三彩鳥型水注はどのような目的に使われたのでしょうか。「阿蘇文書」のなかの阿蘇社神事の記録に、例えば「正月一日祭―鳥瓶子・ 酒 広掻敷七十二膳、七十二所の神名を読む」(一和尚役)などと鳥瓶子(酒を入れ、酒を注ぐ容器)が使われていたという記述があります。また、阿蘇一帯が闇に蔽われた時、派遣された武者が七十二度矢を放つと、矢が落ちた場所から次々に晴れていった。その矢の落ちたところが矢村で、七十二の社ができました。その矢村の神に酒を捧げるときに使われたものが鳥型水注と想像されます。このほかにも矢は鳥の羽根でできていますし、鳥の形をした瓶子は酒を注ぐのにふさわしい器として使われていたのではないかと私は考えています。


浜の館跡から出土した鳥型水注
浜の館跡から出土した鳥型水注