ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.158 「熊日連載小説「蘆花と愛子の物語」裏話」

講師/作家・歌人 本田節子さん

 徳冨蘆花が愛子夫人とともにエルサレム順礼へ、そして敬愛し大きな影響も受けたトルストイをロシアに訪ねて、今年はちょうど100年を迎えました。
 作家で歌人の本田節子さんは、熊日新聞夕刊に小説「蘆花と愛子の物語」を1年にわたり連載され、好評のうちに300回を超える長篇のフィナーレを迎えました。蘆花の人柄と文学、また蘆花の私生活ばかりでなく、作品成立においても大きな支えとなった菊池出身の愛子夫人について、活字にならなかった部分も含め、余韻冷めやらぬ感動の裏話を語っていただきました。

蘆花の生い立ち

 蘆花は、明治元年、水俣で生まれました。2歳の時、父・一敬の仕事の関係で一家をあげて現在の徳富記念園のある大江の家に引っ越してきました。
 蘆花は小さい頃から頭はいいのですが、いじめられていました。また、いわゆる「かさっぱち」がいっぱいで、みんなから嫌われていました。白川に泳ぎに行けば、友だちの荷物全部持たされる。また、その頃、白川端には刑場があり、切り落とされた2、3人の生首がそのままになっていて、その髪が風にはらりはらりと吹かれていたのを見たというのです。そこを通らないと小学校にいけないものですから、それを思い出すのがいやで、学校嫌いになります。
 蘆花と兄・蘇峰は5歳違いなのですが、長男と次男の差は大きいものがあります。嫡男は大事にされる、一方の次男・蘆花はほったらかしにされる。当時はこれが当たり前のような時代だったのですが、蘆花にとっては兄・蘇峰を恨む要素にもなります。そして、外ではいじめられる、こんな屈折した環境が家では手のつけられないいたずらものになっていきます。
 見かねて、蘆花は京都の同志社にいっていた蘇峰に預けられることになります。その時、蘆花は10歳だったのですが、寄宿舎生活を始めるようになると、それまでのおできが途端によくなるのです。
 ところが同志社では、いわゆる新島校長自責事件というのがあって、そのことから蘇峰は東京へ行くことになります。蘆花は保護者を失って熊本に戻ってくることになります。帰ってきた蘆花は養蚕をやらされます。しかし、蘆花は目が悪いので、思うように仕事が出来ません。その後、横井小楠の長男・時雄を訪ねて四国・今治に行き、そこで1年4カ月過ごします。そのあと、新島襄の同志社に2度目の入学をします。そこで、新島の姪・山本久栄に恋をし、失恋し、同志社を退学、12月には遺書を書きます。  それから鹿児島にいくのですが、その頃のことを蘆花自身のちに「暗黒の2ヵ月」といっています。
 熊本に連れ戻され熊本英学校の教師、さらに兄蘇峰をたより東京にいき、国民新聞社にはいります。しかし、文才は認められるが、先輩からは叱られてばかり、同僚からは無視され、小使いからまで馬鹿にされる。蘆花は意気消沈してしまって、自分の感情を押し殺し、傲慢で冷淡という鎧を着、自己防衛して生きていきます。  上京した蘆花は現在でいえば銀座にあった佐賀ボーロの2階に下宿しました。みなさんのお手元に配られていますマルボーロは、そのことにちなんでいます。

転機(その1) 結婚

 そんな蘆花に第一の転機が訪れます。明治27年5月、隈府一の造り酒屋の娘、原田愛子と結婚します。蘆花が性格にいびつなところがあるのに対し、愛子は自分で「愛の中毒」といっているほど、お父さんにかわいがられて育った人です。東京の女高師(現在のお茶の水女子大)に熊本からただ一人合格しました。卒業すると、教師になれるのに、蘆花と結婚することになります。結婚までに一度も会わないままに。
 二人が引っ越した先が、赤坂・氷川町の一軒家の借家です。大家は勝海舟です。これはたどれば、横井小楠と勝海舟の交友関係がもとになっています。
 蘆花にとって、愛子は世界一の人です。愛子を見た人は全員一目惚れすると思っています。ある日、蘇峰が愛子を褒めて、これからの嫁はちったぁしゃべりきらんといかん、と言いますとそれに嫉妬します。蘇峰の妻、静子はあまり教育を受けていなくて、蘇峰にとって物足りないのも事実なのですが。愛子が徳富家の家長、蘇峰に世話をするとそのことに嫉妬をする。蘆花は愛子につらくあたったり、罵声を浴びせたり、あげく暴力を振るうようになる。
 愛子は、三従の精神で育てられているし、私が悪いからだと、耐えに耐える。給料にしても愛子の12円に対し、蘆花は11円。蘆花は、これも負い目になります。

転機(その2)引越し

 老いた両親が逗子の老龍庵に引越すことになりますと、蘆花も逗子柳屋に引っ越すことにしました。蘆花はそこでも原稿料が入ると、愛子を一人残したまま、写生旅行に行ってしまう。愛子はひとり逗子の突堤に立ってみると、どこかふるさとの菊池の川の風景に似ていたのでしょう、慰められていたようです。
 ところが、不思議なもので、ここで後に大ベストセラーになる「不如帰」が生まれることになるのです。柳屋での二度目の夏、避暑に来ていた福家(ふけ)大佐の奥さんから「不如帰」の話しの種になる大山大将の長女離婚について、世間話を聞くことになります。

もうひとつの転機

 明治38年、富士登山に出かけたとき、蘆花は人事不省に陥ります。愛子の必死の看護の結果、生き返るのですが、そのとき富士山6合目から見た景色を蘆花は「ここは阿蘇だね」というのです。湯之谷から見たスロープに風景がよく似ていたのでしょう。
 蘆花は、神に選ばれて復活した、と大転換を図って生きていこうとする。これからなにをすればいいのだろう、と自問します。復活したからには、自分を清めなければならない。これまでの贅沢をやめ、愛子とともに菜食主義になろう。書きためた日記も小品類も全部焼いてしまう。そしてこれまでのことを蘆花と愛子はお互いに告白し合いました。
 二人は伊香保で3ヵ月暮らします。愛子は蘆花に別居を申し入れます。そして、蘆花に「トルストイに会いにいったら」といいますと、蘆花はついでにエルサレムに行こう、と愛子を誘い、洗礼させます。そこから二人で3カ月の旅に出ることになります。
 ヤースヤナ・ポリヤーナのトルストイのところでは5日間滞在するのですが、そこではトルストイから「人に頼らずに生きていくのは国の宝ですよ」といわれます。帰国後、蘆花は粕谷に藁葺の一軒家を買い、そこに住まい、農業をして暮らそうと志すのです。もっとも種や肥料のほうが高くつくこともあるのが美的百姓の実態でした。ともあれそこから賀川豊彦をして農村青年の聖書と言わしめた代表作のひとつ「みみずのたはこと」が生まれたのでした。

到達点“極致妙諦”について

 愛子と蘆花は、告白しあい、いいたいことを言い合い、真実をぶつけ合いながら、愛子はだんだん強くなっていきました。蘆花は愛子愛女といいます。これはイブのことです。蘆花自身はアダムとして生きていこうと決意します。キリストは結婚しなかった。しかし、もしキリストが結婚したなら、こうなるという結婚をしようと新しい生活を始めるわけです。
 そこで到達した境地を蘆花は「極致妙諦」という。つまり、力を尽くして最後にたどり着いた真の真実、優れた真実のことです。これは蘆花だけでは辿り着けなかった。愛子という理解者がいてはじめて、二人で辿り着けた境地でした。さまざまな苦悩の果てに辿り着けたすぐれた真実の境地でした。


マルボーロ
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