ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.153 「宇城市の歴史文化の再発見」

講師/宇城市教育委員会文化課 係長 浦中耕太郎氏 参事 松村浩一氏 学芸員 稲富陽子氏

 昨年、宇土郡三角町、不知火町、下益城郡松橋町、小川町、豊野町の5町が合併し誕生した宇城市。県の中央に位置し、温暖な気候に恵まれ、海あり、山あり、平地ありと、バラエティに富んだ自然景観と都市的機能を併せ持った新しい市のご紹介を、市内の主な文化財を交えながら宇城市教育委員会文化課のみなさんからお話しいただきました。歴史・人物・伝統・文化…さまざまな角度から多彩な魅力を発見しました。

宇城市はどんなところか

 地形・自然や文化財に恵まれた宇城市はまさに宝の宝庫です。一年中温暖な気候を生かしデコポン(不知火町)やミカンを栽培し、山間地の方では水稲の穂、梨、ぶどう、レンコンなどを生産しています。
 また、交通の主要として松橋インターチェンジ周辺に多数の工場が誘致され、県内の工業の中心地になりつつあることや、県内どこへでも3時間以内で移動できる利便性から住宅地も増えています。そのような宇城市ですが、もとはどのような土地であったのでしょうか?
 文化財としても多く残っているのが貝塚や古墳、中世の城跡などです。小田良古墳(国指定史跡)や宇賀岳古墳(県指定史跡)、桂原古墳(県指定史跡)など装飾古墳が残っていますが、船やイルカが描かれていたり、当時を知る資料として貴重です。また、火の国の豪族やムラの存在などを表すのではないかという推測ができる点でも重要な史跡であることに間違いありません。貝塚の分布においては、宇土半島がもともと単独の島であったことを証明するように各地に点在しています。

歴史を観る・景勝の地

 海の文化が残っている地区では、建物も文化財の一つです。不知火町松合の白壁土蔵群については、江戸時代に県内有数の漁港であった面影を残し、町並み保存会のみなさんが大切に風景と歴史を守っています。また、三角西港も明治のころ開港し、一気に県内屈指の港となった背景を残す情緒ある佇まいです。石積の水路や埠頭(国指定)はオランダ人ムルドル氏の指導の下に作られ日本では唯一現存しているものです。
 人物には小川の3傑と呼ばれる竹崎季長、鉄眼禅師、柏原太郎左衛門がいます。日本の歴史に大きな働きをした人物であり、碑や古文書などが残っています。また日本の女性史に大きな足跡を残す高群逸枝の碑や、千里眼千鶴子の名で有名な御船千鶴子の墓などもあります。この御船家の墓は松合の六地蔵公園近くの墓地にありますが、そこから見下ろす不知火海は絶景の一言です。
 また、豊野にある熊本名水百選の一つ、御手洗水源のそばには奈良時代末期に建立された古代寺院の浄水寺跡があります、境内には燈楼の竿石や寺領の碑、礎石群が残っており、静かな中に風情が漂っています。木漏れ日の差す中にひっそりと佇む碑に歴史を問いかけながら歩くのも良いと思います。

伝統も人も宝物

 昨年6月に「宇城市伝統継承条例」を制定し、宇城市に古くから伝わる民族芸能や行事等を積極的に保存し、公正に継承するよう努力しています。昨年10月末には松橋総合体育文化センターにて「伝統文化芸能祭り」を開催し、18団体の参加がありそれぞれの土地に根ざした芸能が一堂に会しました。
 雨の少ない地域では雨乞いが盛んだったり、干拓地にはおざや節があったり、虎舞のさかんな土地があったり、個性豊かでバラエティに富んでいます。このイベントは今年も開催する予定です。

文化財を後世に伝えたい

 宇城市でみなさん良くご存じなのは「不知火」であると思います。町名としても知られると同時に「ロマンの火」、景行天皇を導いた不思議な火として有名です。旧暦の八朔の日に夜中~明け方にかけて見えるという不思議な火ですが、近年は周囲の環境の変化から見えづらくなっています。現在、国の指定文化財の文化的景観の重要地域として調査をしてもらっていますが、この不知火がいつまでも残せるように保存、整備に努めていきたいと思います。
 宇城市が合併して1年と4ヵ月が過ぎ、「宇城」と書いてなんと読むの?「うじょうしですか?」、「どこにあるのですか?」等の問い合わせがまだまだ多く寄せられます。人口規模では熊本市、八代市、天草市、玉名市に次いで5番目ですが、知名度はまだ低いようです。
 しかし、宇城市内の文化財に多くの方々からお問い合わせがあり、関心の高さに驚いております。この大切な文化財を後世に伝えていく為に、みなさまのお力をお借りしながら文化財行政についてこれから本格的に取り組んで参ります。
 ぜひ一度宇城市へおいでください、お待ちしております。


【神秘の火 不知火】