観光客に人気をほこる、県内有数の観光地『小国町』。温泉地としてはもちろん、日本人として初めてノーベル賞候補となった北里柴三郎の生誕地としても知られています。破傷風菌の培養や血清治療の発見で多くの人々を救った北里博士の生い立ち、「学び」の精神が息づく小国の風土についてご講話いただきました。
また、宝くじが次々に当たると評判の開運三社のご利益についてもお話いただきました。
観光どころとしての小国町
小国町は自然と歴史に恵まれた豊かな土地です。観光として知られているもの、いないものなどの観光素材を観光案内と組み合わせて「道の駅 ゆうステーション」を起点にして小国の素晴らしさを知っていただきたいと思います。
小国には歩くだけでも、下城大いちょう、遊水峡、滝など自然の観光素材はたくさんあります。例えば鍋ヶ滝などは大変美しく景観の良い滝として知られています。滝の裏側が歩いて通れる珍しい滝です。また、テレビコマーシャルで松嶋菜々子さんがロケで訪れたことで昨年は一気に話題になり、若い人たちを中心に訪れる人が多くなりました。
開運三社と福銭について 小国町には一等くじが次々に当たったというご利益のある神様がいることをご存じでしょうか。小国両神社、けやき水源水神様、鏡ヶ池の恵比寿様です。それぞれに、古くからご利益のあったお話も残りますし、実際にこの神様たちに願をかけ、見事にくじを当てた人も多くいらっしゃいます。また、それ以外にもご利益があったというお話をよく聞きます。
また、小国町では小国に残る故事にならい、「福銭」を試みています。故事とは、江戸時代に小国両神社の境内にあった神護寺のお話です。神護寺では年貢や種籾が足りない農民に賽銭を貸し、多くの人を救いました。また、商家でも商売繁盛にご利益があるとされ、商いの元手に賽銭から小銭を借りたそうです。富くじの神様は三社とも並んでいますので、「福銭」も合わせて三社参りにお越し下さい。皆様にもご利益があるかも知れません。
北里柴三郎の里・小国 小国には歴史的偉人が生まれています。北里柴三郎です。血清療法の確立でコッホやパスツールを驚嘆させ、免疫学を開き伝染病治療に道を開いた柴三郎は一八百五三(嘉永五)年、アメリカのペリーが来航した年に小国町北里で生まれました。
惣庄屋の子として父母に厳しく教育され、熊本医学校から東京医学校(後の東大)へ進学。卒業後、内務省衛生局に勤め、一八百八六(明治十九)年から六年間ドイツに留学。病原微生物学の父と言われたローベルト・コッホに師事して研究に励みました。当時、欧米で不可能とされていた破傷風菌の純粋培養に挑戦。さらに血液中に抗毒素(免疫体)を発見し、血清療法を確立させました。この行跡から、一九〇一(明治三四)年、日本人で初めて第一回ノーベル賞医学・生理学賞候補となり最終選考まで残りました。明治維新からわずか二十余年で挙げた出来事です。
近代医学の父と呼ばれた柴三郎 帰国した一八九二(明治二五)年、福沢諭吉らの援助で伝染病研究所を創立。直ちにジフテリア、コレラなど伝染病の血清治療をはじめました。翌年、日本で初めての結核療養所「土筆ヶ岡養生園」を設立しました。さらに翌年の一八九四(明治二七)年、香港へ派遣されペスト菌を発見。この年、小国の両親を東京へ呼び、一緒に暮らし始めます。
柴三郎の伝染病研究所は、コッホやパスツールの研究所と肩を並べるまでに発展しますが、後進の育成にも力を入れ、門下生に赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒治療薬の秦佐八郎、野口英世などを輩出。慶応大学医学部創設にも尽力します。
そして一九一六(大正五)年、郷里の青少年のために私財を投じ北里文庫を設立。現在、生家と北里文庫は北里研究所・北里大学の手で修復公開されて偉業を伝える展示室となっています。
「医者の使命は病気予防にある」と志を立て、終始一貫、公衆衛生と予防医学に一生を捧げ、日本の医学を世界水準まで高めた北里柴三郎は、一九三一(昭和六)年、七十八年歳で生涯を閉じました。
素晴らしい小国郷 熊本は温泉に恵まれた土地で、小国も素晴らしい湯が湧き出でています。奈良時代から知られる杖立温泉や長崎の原爆被害にあった方々も治療に使った奴留湯温泉、岳の湯温泉やはげの湯温泉は地熱の里として多くの人に喜ばれています。いずれも小国の大切な資源です。
北里柴三郎の偉業を残す北里文庫、生家や開運三社などの観光資源の他、自然や豊富な温泉など現在ある観光素材と旅先案内を組み合わせた更なる小国の発展はもちろん、純粋に小国のいいところをいろんな人に知ってもらいたい、訪れてほしいという願いが止みません。
阿蘇にも訪れやすい季節になりました。ぜひ足を運んでいただいて、いろいろなことを学び、楽しみ、小国のもつ魅力を味わっていただきたいと思います。
【鯉のぼりの泳ぐ杖立温泉】 |
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