「いぐさ」の爽やかな香りは、どこか懐かしいような、何とも言えない心地よさを与えてくれます。いぐさ産業は、八代地域に古くから根付き、特産品としての地位を確立しました。
太古からの日本人との関わりをはじめ、現代でこそ輝くべきいぐさの魅力をお話いただきました。
日本一のいぐさは周知が浅い
いぐさは長い間、八代の基幹産業として年間400億ほどの売上があり、八代といわず熊本の農業の中心となってきました。
しかし、皆さんに畳表の産地はどこでしょうかと尋ねると、ほとんどの人が岡山か広島と答えます。
昭和43年に日本一になって以来、37年もトップでありながら今でも「熊本にもいぐさがあるの?」というふうに言われます。残念なことですが現実です。
悲劇の幕開けをきっかけに新しいいぐさのあり方を考える
平成9年にいぐさの大暴落が起きました。
日本の家屋から畳が消え需要が大幅に減ったこと、中国からいぐさが大量に入るようになったことで経営の立て直しをできずに多くの方たちが命を絶ちました。
借金に追われ、見通しがたたず絶望し自殺に追い詰められ起きた悲劇です。
実際に自分の友人がその被害者でした。私はこの悲しい出来事をきっかけにいぐさに関わるようになりました。
そしてその良さを多くの人に知ってもらいたいと、いぐさ和紙の研究に取り組みました。
畳表の素材としては適しないいぐさの短いものを何とか利用できないかと、5年の月日を費やして完成しました。
現在では各地でいぐさのあたらしい利用の方法が研究され、北九州市立大学の森田先生を中心に食用としての開発なども行われています。
第一回全国いぐさ文化博覧会を開く
それからも長期低落が続く中、私は平成14年に八代市において第一回全国いぐさ文化博覧会を提唱し開催しました。
全国から関係者と消費者団体を招き、予想をはるかに超えた二万五千人の来場という盛会の結果を出すことができました。
新聞にも大きく取り上げられ、社説ではこの博覧会が地域連帯の和をつくる大きなきっかけになったとの評価も受けました。
この年、これを機にプラス3.7%の作付けを記録し、価格も上昇しました。1300万の私財を投じて開いた会が約10億の経済効果を生んだとみています。
いぐさの歴史
日本のいぐさの歴史は千三百年と言われておりますが、実は遡ること二千年前、
縄文式土器の頃すでにいぐさを編んだ織物が縄文式土器とともに青森県の遺跡から発掘されています。
さらに四千年前には堅穴式住居の遺跡の中からもいぐさを敷いていたものが見つかり、この頃から敷物として用いられていたことが考えられます。
JR千丁駅のそばにいぐさの神様が祀られる岩崎神社があります。永正2年(1505年)に岩崎主馬忠久が領内に初めていぐさを創始したことで祀られております。
なぜ岩崎忠久は八代にいぐさを植えたのか、また、どこから運んできたのかというのはまだ謎です。
備後からという説がありますが、八代の猫田に野生のいぐさがあったといわれているのでそこから運んだとも言われています。
平成5年から現在の生産律率およそ半分、かたや中国からの輸入率は上昇中です。栽培面積も中国が約八千ヘクタール、熊本は千六百ヘクタールです。
日本の伝統文化とも言えるいぐさがなくなってしまうような事態が起きれば日本の将来に大きな影響を与えることになるのではないかと危惧しています。
いぐさは現代でこそ生きる
日本産は質が大変良いと言われていますが、これは灯芯といういぐさの最も大切な部分が発達しているからです。
日本の灯芯は密度が高く化学物質をろ過する以外にも、雨が降ると湿気を吸い込んで、乾燥しているときは適度に湿度をもった空気を吐き出してくれる働きをします。
いぐさは
- 適度な湿度と温度を保ってくれる
- 空気を清浄してくれる
- ヒーリング効果をもつ香りを分泌している
- ダニの繁殖が少ない
などが判っており、現代人の生活空間に大変必要な要素をもっています。
熊本県をはじめ、各調査からいぐさの和紙やボードがシックハウス症候群に大きな効果をもたらすことが判りました。
百種類以上の化学物質が使われているという近代住宅事情の中、果たす役割は大きいのではないでしょうか。
昔の家は畳を貴重としていました。現在はフローリングが主で、せっかく和室があっても、粗悪ないぐさを使用してあったりします。
表面に染料と樹脂を混ぜたものを塗ってありビニールマスクをされているような状態のものもあります。
つまり着色のものは匂いもしないし、浄化もしません。
こういったストレス社会、化学の進歩の弊害が起きている現代だからこそ畳のよさを知ってほしいと思います。
そして未来を担う子どもたちのためにももう一度日本の伝統文化であるいぐさを見直してほしいと願います。
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