ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.145 「あの、那美さんの風呂――が復元」

講師/元熊本大学教授 中村 青史 氏

 夏目漱石が熊本に残した大きな遺産の一つに「草枕の里」(天水町)があります。小説『草枕』のテーマの地として広く知られています。
 天水町は草枕の里の地として地域興しに励んでいます。那美さんの入った浴場も復元されました。『草枕』の場面「七」を中心に改めて作品を読み返しました。

最先端の風呂であったこと


 寒い。手ぬぐいを下げて。湯壺へ下る。
 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳程な風呂場へ出る。石に不自由せぬ國と見えて、下は御影で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋程な湯槽を据える。


 夏目漱石が命じ39年に発表した『草枕』のヒロイン、那美さんが入った風呂が天水町に復元工事の段階で当時は石に見せかけたコンクリートであったことがわかりました。コンクリートは明治初期から使用されていたことも今回の調査からわかっており、『草枕』の風呂に使われています。主人の前田案山子が最先端の技術を用いて今まで無かったような残斬新な風呂を造ったのではないかと思われます。
 さて、『草枕』の主人公である「画工」はこの湯船に浸かり思います。

 只這入る度に考へ出すのは、白楽天の温泉水滑凝脂と云ふ句丈でる。

 この句は中国唐時代の詩人白楽天の長編詩『長恨歌』の中にあり、「おんせんみずなめらかにしてぎょうしをあらう」と読みます。楊貴妃が温泉に浸かってますますその美人に磨きをかけたというものです。

リアリズムとの葛藤、表現の魅力

 当時、文藝の世界がリアリズムとそうでないものの両派が台頭していました。漱石はもとは写実派でしたが『草枕』を書いたこの時期はリアルでないものも文学だとして書いた傾向があります。この風呂場の場面はいろいろと細かく描写がなされていますが漱石の文学によく見られる低徊趣味が現れている作品でもあります。
 いよいよ風呂に入るシーンになります。

 黒いものが一歩を下へ移した。踏む石は天鵞絨の如く柔かと見えて、足音を証にこれを律すれば、動かぬと評しても差支えない。が輪郭は少しく浮き上がる。余は画工だけあって人体の骨格については、存外視覚が鋭敏である。何とも知れぬものの一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中に在る事を覚った。

 那美の頭の先から足先まで描写が続きますが、こんなに裸体美を細かく描いた作品はあまりありません。

那美さんと漱石の入った風呂

 『草枕』は小説ですのでもちろんフィクションが含まれています。しかし風呂場の場面は実際に漱石が体験していたことでした。那美のモデルとなった前田案山子の次女・卓(つな)の述懐に残っています。当時男湯からのみお湯が出ており、そこから女湯に移していました。寒くなると女湯は冷たくなってしまいます。夜遅い時間に風呂に入りにきた卓がまだ温かい男湯に入ろうとしたところ、漱石と山川信次郎が入っていて驚いて出たということです。つまりこの画工と那美の風呂場の場面は事実を脚色して描いたものです。作者自身が入った、モデルが入ったという事実がある珍しいケースであり、そういう意味で草枕の風呂は大変価値のあるものなのです。

『草枕』の世界が復元

 初めに那美さんの風呂場が復元されたと述べましたが、4月に一般公開が始まりました。さらに2006年には草枕交流会館がオープンします。前田家別邸が敷地と共に公開され(一部を除く)、交流館ではガイダンスも備えられ、那美さんの風呂場の場面の再現(コンピューターグラフィックによる)なども試みられているということです。また、作品・作者にまつわる貴重な品物の展示もあるそうなので、来春を楽しみにしていてください。
 『草枕』はこれまで漱石研究の中ではあまり対象にされていない作品でした。しかし、最近見直され始めています。深みのある大変おもしろい作品であると思います。熊本の天水町「草枕の里」も奥深い土地でありますのでこれを機に、さらに作品の良さ、土地の良さを多くの人に知ってもらえたらと思います。