ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.144 「ありがとうSLあそBOY」

講師/元JR九州熊本駅長 竹田 勉 氏

17年間豊肥本線を走り続けた、九州唯一のSLが8月をもって引退することになりました。「SLあそBOY」-。 熊本の観光資源としても大きな役割を果たすことになったSLあそBOYの運行立ち上げに関わられた元JR九州熊本駅長の 竹田氏に当時を振り返りながらお話をいただきました。

SLが消えた日

 日本での蒸気機関車の始まりは、明治五年(一八七二年)新橋-横浜間に鉄道が開通したことに遡ります。 外国から輸入された機関車は大正時代には国産へと代わり、日本中を駆け巡りました。
 しかし、昭和三十年から始まった動力近代化計画の「無煙化と電車化・気動車化」、そして赤字経営の流れの 渦中で昭和五十一年三月、蒸気機関車は姿を消すことになります。国鉄は蒸気機関車の保存に経費を持たなかったため、 所有権は国鉄のまま無償でいろいろな所へ(展示用として)貸出しの形をとりました。

熊本でSL復活

 昭和六十二年四月、国鉄が民営化されJRと代わります。JR九州はかつて多くの人に利用され、 愛されたSLをなんとかもう一度走らせることができないかと考えました。昭和六十三年の九州鉄道百周年、 また「熊本ディスティネーション・キャンペーン」にあわせることで復活が具体化しました。使用するSLの 選定に関しては

1.九州の地で両数多く活躍した機種であること、できれば九州で一生を送った機関車であること。
2.日本の機関車史上でも誇るべき国産機種であること。
3.機関車の保存状態が良く、また貸出先も協力してもらえること。

という観点で九州管内に保存されていたSLが調査されました。そこで選ばれたのが人吉市矢岳駅構内のSL資料館に 保存されていた8620形58654号機です。私はこのSLがこれまで本当に大切にされていることが見てすぐに分かりました。 このSL資料館には他にD51形が展示されていましたが、元国鉄職員の得田徹さんは、この2機の車体を朝晩、 油を染みこませた布で磨いてくださっていたのです。各地でそれぞれ引き取られたSL達の多くは雨ざらし、 日ざらしで車体が痛んでいたり、破損していたりするのですが、家屋に保管され、大事に守られてきた58654機は とても良い状態にありました。そして何より得田さんが言ってくれた「SLが来て十三年になる。もし昔のような姿で 走ってくれるのなら、それが本望です」。この言葉が私の力になりました。

難航するSL返還交渉

 しかしSL復活は容易にはいきませんでした。阿蘇を走らせることに対し反対運動が起こったのです。 今まで人吉の地で十三年間大切に保存してきたので復活するなら肥薩線で運転してほしいというものでした。 私は八月から四ヶ月間に渡り人吉に日参し、説得を続けました。そして十二月、

1.年に3回人吉に里帰り運転をする。(春・夏・秋)
2.SLが人吉市に大切に保存されていた証のメモリアルプレートを付ける。
3.残りのSL(D51)は、そのままSL資料館へ貸し付ける。
4.JR九州は、人吉の観光振興に全面的に協力する。

このような条件で交渉は成立しました。

SLあそBOY誕生

 昭和六十三年一月、SLは矢岳駅の資料館からJR小倉工場へ搬送され、整備されました。 SLの心臓部ともいえるボイラーを新製し、公募で「SLあそBOY」という愛称も決定しました。 まさに阿蘇に走るに相応しい名前がつきました。
 阿蘇をアーリーアメリカンにみたて、客車だけでなく機関士・車掌・乗務員のスタイル、 熊本駅のホームからウエスタン調にして雰囲気を大切にしました。特に力を入れたのは阿蘇駅でした。 日本一のどこにもないホームにしようと試行錯誤を重ねました。まずは日常を離れ生活の匂いがしないように 四百本にも及ぶ丸太でアラモ砦にみたてた囲いをしました。田圃や電柱、畑などを視界から見えなくするようにです。 また、二本の留置線を埋め込み、日本一幅の広いホームづくりなど地元の方々に協力してもらいながらSLあそBOYの誕生を 迎えました。
 営業運転開始の前にSLあそBOYは阿蘇より先に人吉へ畏敬訪問し、資料館に残る僚友D51と汽笛でエール交換しました。 館内に静かに佇んでいたD51を30mほど外へ引き出してのエール交換の瞬間は私にとって忘れられない感動でした。
 豊肥本線での招待試乗会では内牧-阿蘇間をインディアンやカウボーイに扮装した地元の方々が馬に乗って並走したり 当時の阿蘇町長も駆けつけての大きな盛り上がりを見せました。

ありがとう「SLあそBOY」

 昭和六十三年「SLあそBOY」が走り出した八月二十八日から十八年目の平成十七年の同じ日に引退を迎えます。 生まれてから八三歳。これまでよく走ってくれた、ご苦労様でしたと思う気持ちでいっぱいです。 雄大な阿蘇をバックに、豪快なドラフト音を響かせ、黒煙を吐き出しながら走る姿は多くの人たちを楽しませ、 感動や喜びを与えてくれました。多くの人々と力を合わせて復活を成し遂げ、熊本の観光に大きく貢献し、 共に走ってきた「SLあそBOY」に深く感謝したいと思います。

〔 SLあそBOY 〕