先日、山都町(旧矢部町)で「全国石橋サミットin上益城」が開催されました。周辺の緑川流域は通潤橋や霊台橋を
はじめとする歴史ある石橋群が健在で、石橋の魅力を全国に発信する場にふさわしい所です。講師の上塚尚孝先生も
コーディネーターとして参加されました。今回は「目鑑橋礼讃」と題してお話いただきました。要旨を紹介します。
ショウガと石工の里
東陽村は「ショウガと種山石工の里」です。今日のお話は石工の里についてですが、本題に入る前に珍しいショウガを
持ってきましたのでご覧ください。初めての方は必ずびっくりされるジャンボサイズです。「八郎ショウガ」といって
尾下八郎さんが改良した逸品で、東陽村の自慢となっています。そして、お手元にあるのはショウガ菓子です。
さて、石工の里ですが、熊本県は全国有数の石橋(目鑑橋)の宝庫です。県の依頼で調査したところ六三〇基ほど
架けられています。そのうちの三二〇基ほどが今に残り、観光資源、歴史遺産として往持の姿をとどめています。
私が今日お話しているこの場所はJR熊本駅ビル内にあるマインド社ですが、かつてはすぐ近くの坪井川に石橋が
架かっていました。二本木口の坪井川に架かる三橋橋です。二本木遊郭の大店・東雲楼と並ぶ三橋楼が事業主となって
架けたものです。日露戦争が終結した翌年、明治三九年のことでした。落成の祝いは三日間も続き、
それはもうにぎやかなもので語り草になったそうです。
石橋は季節の風情が似合う
私は永年石橋の研究に打ち込んできました。一体、どこに魅かれたのでしょうか。石匠館のある東陽村には二十一基もの
石橋が点在し、その中の一つに笠松橋があります。私はそこで石橋に魅かれる一端を味わった思いがします。
昔のことになりますが、春になると、私はいそいそと笠松橋に出かけたものです。目当ては石橋の石組みの隙間から
苔や雑草に混じって生えているツバキの花でした。それはまるで石橋が口紅をつけているかのような情景でした。
そこから上流へ六百メートルの野沢橋(鹿路橋)。こちらの橋は秋が深まると生い茂った数々の草木が紅葉し絢爛豪華の
衣装をまといます。私はこのときの感動を「目鑑橋礼讃」と題して文章にまとめました。「二つのめがね橋で笠松橋が
春に微笑む橋ならば、野沢橋は秋の河俣川に錦の虹をかけ、互いに美を競っている」というのが結びの言葉です。
ただこの眺めは今は見ることはできません。石橋を大切に守ろうという気持ちからでしょう、青年団が清掃のため
生い茂った草木を刈り取ってしまったからです。皮肉な結果ですが、保存の難しさを考えさせられます。
伝承から事実確認へ
東陽村が「種山石工の里」と呼ばれるのはここ種山で生まれた橋本勘五郎の存在があります。通潤橋を手がけた名工であり、
また維新後の東京では数々の架橋工事に腕を振るいました。
しかし、名声の高い割には勘五郎については伝承の域を出ないものが多いのです。ようするに本当かどうか、裏付けに
乏しいのです。ところが三年ほど前、勘五郎の生家である橋本家から文書類が発見されました。
橋本家は、私が館長を務める石匠館とは道一つ隔てた所にあり、当主の橋本脩成さんは勘五郎のひ孫に当たります。
文書は古いタンスの引き出しにしまい込んであったそうですが、謎の多かった勘五郎の実像が浮び上がってきました。
例えばこれまで確証のなかった熊本市の明八橋や明十橋の棟梁も間違いなく勘五郎でした。私は従来の言い伝えに頼った
"伝承の時代"から"事実確証の時代"へ移ったことを実感しています。今度解明が進むにつれ新たな勘五郎像が描かれる
かもしれません。
なぜかしらロマンを誘う石橋
謎といえば勘五郎は明治政府の要請で東京の万世橋など多くの橋を架けていますが、では東京へいつ出発し、どこを通り、
どんな交通機関を利用したか、つまり状況ルートの詳細については不明でした。県立図書館で布田家文書を見せて
もらったときです。布田弥門『明治六年御用ニ付御上京記』というのが目に入りました。
布田弥門は通潤橋の事業主として総指揮をとった布田保之助の子で、橋本勘五郎を「巧熟の石工なり」と明治政府に
推薦した人物と聞いています。そうであれば、上京は勘五郎も一緒だったに違いないと思いました。
『上京記』を丹念に読み、分からない点は専門の先生に聞いて検証した結果、勘五郎らの行程は船便利用の
百貫石-長崎-横浜ルートであると確定しました。明治六年三月十一日の項に「石工連ニ神酒ヲ出ス」という件があります。
東京に無事に着いた弥門や勘五郎の喜びの表れでしょう。
ただし問題は「石工連」とはあっても「勘五郎」とは記されていないことです。『上京記』全部を通しても勘五郎の名前は
出てきません。私は「確定」という言葉を使いましたが、やはりここは「ほぼ確定」とすべきでしょう。
このことと関連するかどうか分かりませんが、石橋にはどこかロマンを誘うものがあります。それぞれに自説を主張し、
私に意見を求めてきます。中には明らかに事実誤認のケースもあります。しかしその場合でも、私はなるべくその人の
ロマンの灯を消さないように気を遣います。「自分だけの石橋」があってもいいではありませんか。かくいう私もそうした
石橋のもつロマンに魅せられた一人にほかならないからです。
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〔 石匠館 〕 |
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