ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.137 「熊本城稲荷神社の由来とご利益」

講師/熊本城稲荷神社宮司 本田 光曠 氏

 熊本城稲荷神社は、加藤清正の肥後入国以来、熊本城の守り神として約400年にわたり多くの人々に親しまれています。 「白髭さん」としても呼ばれるこの神社は、2月3日に最大の祭事でもある初牛大祭が行われ、春の訪れと共に、 福を求めて参拝客で賑わいます。
 今回は、宮司である本田光曠さんに、熊本城稲荷神社の由来からご利益、福を呼び込む心がけなど幅広く語っていただきました。


稲荷神社は「いのちの根」

 皆さんは稲荷神社の「稲荷」とはどういう意味なのかご存知でしょうか。「稲」とは「いのちの根」を総じて「いね」と読み、 「いのちの根」が込められているので「米」といいます。そこで「いのちの根(稲)を荷なう程豊かであれ」 という吉祥願望を表したのが「稲荷」の語源です。昔は「生成」とも表記していたことから、 命の根源としての意味を表していたことが良く分かります。さらに前は「伊奈利」と表記されていました。
 稲荷神社は京都の伏見稲荷大社を総本社とし、全国に約4万社あると言われています。奈良時代(和銅4年・711年)より 始まり、稲荷信仰が最も盛んになったのは江戸時代の頃です。庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳海運の神として数多く 立てられました。火事が怖かった江戸の人たちにとって火伏せの神としての役割もあったことも広まりの要因のようです。 地域だけでなく個人の屋敷内など、個々の家の守り神だったのです。江戸の町でよく見かけるものとして「伊勢屋、稲荷に犬の糞」 という言葉があるほどでした。そして参勤交代とともに全国に普及していったのです。


熊本城稲荷神社の由来

 稲荷神社といえば狐ですよね。たとえば、日吉神社であれば猿、天満宮であれば牛、春日神社であれば鹿というように、 神社には神使(みさき)となる動物がいるのです。なぜ稲荷神社は神使は狐なのでしょうか、 しっぽを見ればお分かりになるでしょう。稲穂ですよね。狐は春になると山から下りてきて、 人々はそろそろ田植えの時期が近いことを知ります。自然の営みと一体となったこの関係が稲荷信仰の根源にあるのです。 熊本城稲荷神社の神使である2匹の狐(霊狐)は、加藤清正公とともにやってきました。 そして居城であった熊本城に守り神として現在に至るのです。ご祭神である白髭大明神が従えている2匹の狐がそうです。
 清正公から細川家に藩主が代わったときはどうだったのでしょうか。実は細川公の入国にも霊狐(三吉大明神) が付いてきました。しかし、熊本城稲荷神社の霊狐に阻まれて、高橋に稲荷神社が勧請されるに至ったと云うことです。 (『熊本城霊狐物語』より)


初午大祭に福詣りへ

 初午とは一体何なのでしょうか。午は午前・午後と時間を表すように、ちょうどお昼、時間の中心ですよね。方角でいうと南で、 日が一番高くなります。また、昔は立春を中心に考えていました。今では2月4日ですが、昔は年の初めだったのです。 この立春を迎える最初の午の日が初午です。一年で運気が一番高まる日なのです。ちなみに新暦で初午を行うのは九州では 熊本だけです。
 この日は、稲の種(神霊)が降りてきた日と言われています。稲荷の神社が降りてくる日です。 最初に神様をお迎えする神事を行い、そして初午の始まりとなります。お世話係である福男の会の協力のもと、 多くの参拝客で賑わいます。人が集まれば集まるほど運気も高まります。
 熊本城稲荷神社では初午のキャッチフレーズである「稲荷詣りは福詣り、初午詣りは福詣り、白髭詣りで福迎え」 という言葉を流しています。今年の運気を高めるために、初午大祭の日には、ぜひ多くの人たちに福詣りに来て いただきたいと思います。