ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.136 「愛子と隈府(ワイフ)・21世紀に生きる愛子像」

講師/菊池市観光アドバイザー 津留 今朝寿 氏

 明治の文豪徳富蘆花の婦人愛子は菊池隈府で生まれ、文学少女として成長し、その多彩な才能は蘆花の作品にも大きく影響を与えました。また銀婚式の記念に誰よりも早く世界一周の旅にでかけるなど夫婦仲の良さも知られています。
 菊池温泉は開湯50周年を迎え、その中心地である「隈府」の名を徳富蘆花・愛子夫婦のゆかりの地とともに「おしどり夫婦の里」づくりに取り組んでいます。その仕掛人である菊池市観光アドバイザーの津留今朝寿さんに、これまでのエピソードを交え、語っていただきました。


才能豊かな徳富愛子

 「不如帰」「思い出の記」などの作品で知られる文豪徳富蘆花婦人の愛子は、1874年菊池市隈府の酒造業を営む原田弥平次・志鹿の末っ子として生まれました。
 10歳のときに一家で熊本市に転居、愛子は熊本師範附属小学校に転校しました。その後、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)に進学し、卒業後は教師となり、蘆花と結婚しました。
 結婚後も、執筆や絵画の道を自ら磨き、その多彩な才能は蘆花を支えるとともに作品にも影響を与えています。
 愛子は、夫蘆花とともにロシアの偉大なる作家トルストイとの親交を深め自然主義・平和主義の考え方に共鳴し、作品を創りあげています。
 また、水彩画でもその才能を発揮し、東京世田谷の自宅「恒春園」には、多くの作品が保存されています。菊池市の菊池夢美術館でも、愛子の作品の一部を見ることができます。


おしどり夫婦の里が誕生

 私は菊池市の観光アドバイザーとして働いていますが、数年前より、何か女性客が多く訪れるようなアイデアを考えていました。菊池市には菊池一族を筆頭に男性中心の物語が多かったのです。
 そして3年前、福岡に観光宣伝に言ったときのことです。カナダ国総領事館で女性の総領事に名刺を出したら「菊池市の男の人は、女の人を大切にされるのですね」と言われました。地名にWaifu(隈府)とつけるくらいだから、きっと(Wife)妻を大切にする町だと思ったというのです。
 その時に「これだ!」というひらめきから、菊池市の女性の物語「ワイフ物語」の発想が生まれました。それから主役となる女性のヒントを求め、隈府の御所通を歩いていると、偶然、徳富愛子の生誕地の石碑を見つけました。文豪徳富蘆花の妻は菊池市隈府出身、その夫婦の物語を愛子中心に打ち出してはどうかと思いつきました。そうして「おしどり夫婦の里・菊池市」は誕生したのです。
 さまざまな取り組みをご紹介しますと、11月22日を同じく語呂合せで「いい夫婦の日」とし、夫婦を対象にしたパーティを催しました。これは大いに好評を博し、菊池市だけでなく、北九州からの参加もありました。また、愛子に因んだオリジナル商品を企画、販売、俳句を好んだ愛子の句碑も作りました。今後は、文教菊池の再興を目指し「愛子文学賞」の設立も計画しています。


愛子を世界平和の象徴に

 徳富蘆花・愛子は、今から85年も前に銀婚式で世界一周旅行にでかけています。日本人初のことではないでしょうか。それだけ二人が“おしどり夫婦”だということの証拠でもあります。
 旅行の中でパレスチナのナザレ(現イスラエル)を訪れたとき、愛子はこんな句を残しています。

「姉妹むつみし ひたにかたからば 闘う子等はあらじあらせじ」
(If only the bond between the sister be firm,Fighting boys will never be there, and shall be,too.)

 パレスチナのナザレ村は皆さんご存じの通り、キリストの生誕地です。キリスト、すなわち愛が生まれたこの地において、平和を願う思いが込められた句が作られたことに私は大きな意味があると思います。
 愛子はまさに、世界の民族、人種、宗教を越えた広い深い人類愛を持っていた人でした。徳富家を訪れる多くの人に対して、物心両面の面倒を見、気難しい夫、蘆花の創作活動を支えた愛子の生涯を思うと、愛を実践した人だと思います。この旅行は単なる物見遊山の旅ではなく、世界を訪ねながら、戦を無くすためには、平和な世になるためにはどうしたらよいかという二人の思索の旅でもありました。
 この句は英訳され、旅行中に多くの人々に強い感動を与えたと言います。その名前が示す通り、愛を持ち、愛を実践した徳富愛子とこの句を、世界平和に向けて菊池より発信していきたいと考えています。