肥後狂句は、ユーモアと機知、ぴりっと辛い風刺も織り交ぜた熊本独自の短文芸です。
今回の講師は熊日夕刊の選者でもある冨永兆吉さん。「肥後狂句の世界」と題してお話していただきました。また、実際に肥後狂句づくりを寺子屋塾の生徒さん方にチャレンジしてもらいました。
原点は方言にあり
肥後狂句とつきあって五十年です。古くから肥後人の各階層に広く親しまれてきた肥後狂句は、肥後特有の風土の中で生まれ育ってきたものですが、何と言ってもその楽しさは、私たちが朝な夕な用いている方言を縦横に駆使して、その生活を軽妙に描き出すところにあるのではないでしょうか。
ただし、絶対に肥後弁で作らなければならないわけではありません。しかし、原点が方言にあること、そしてその微妙なニュアンスが作句する上で非常に大事であることは認識しておいてほしいことです。
肥後狂句は誰にでも気軽に作れます。特別な学識や理論など必要でなく、流派に当たるものも一切ありません。ただ伝統としての約束事はあります。それさえ守れば肥後狂句の世界を楽しむことができます。
「笠」付けと付け句
肥後狂句は出題を「笠」といい、必ず笠を頭に置いて、その下に七・五と付け句するのが決まりです。笠は頭にかぶりますので冠付けともいいます。
春の海 仕上げ鉋のかかっとる
この場合の「春の海」が出題、つまり笠です。笠は選者が出し、作者が「仕上げ鉋のかかっとる」と付け句したものです。
「春の海」といえば、蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」が思い浮かびますが、肥後狂句にかかるとこうなるということです。
なお笠は一番上に置き、句の中に入れたり、笠の言葉を一部替えたりしてはいけません。また本来肥後狂句は、五・七・五を基本とする短文芸の一つですが、笠については長短自由です。
日本人は母の体内にいる時から七・五のリズムになじんでいるといわれ、歌舞音曲は七・五調が基本となっています。肥後狂句も同じです。付け句は七・五が原則となっており、一時の「字余り」や「字足らず」もいけません。即失格で、選者の選考の対象から外されます。
数え方では次の二点に注意が必要です。拗音(きゃ・しゅ・ちょなど)は、一時に数え、促音(ざっ・ばっ・ぶっなど)は二字と数えます。これは読む口調で数えることからきています。なんだか難しそうですが、すぐに慣れ、迷うことはありません。
野卑に陥らず 低俗に堕せず
肥後狂句の約束事は笠付けであること、次に七・五のリズムで付け句すること。おおよそこの二つに尽きますが、「禁句」は約束事以前の心の問題として守ってもらいたいことです。それは奇に走るあまり、身分や職業、人種の差別、あるいは身体の障害などをやゆするものや、露骨な性描写もいけません。
私が師事した先生は中島一葉といいます。「肥後狂句中興の祖」と仰がれていますが、私たちをこう指導しました。「野卑に陥らず低俗に堕せず」。その中島先生の句碑が熊本市の健軍神社境内にあります。
生れ故郷 わが落書の残る宮
肥後狂句の真価は、人の世の哀歓、人情の機微を「穿つ」ことにあると言えましょう。善きことも悪しきことも、人間の心の底にあるもの、共通の意識、あるいは潜在意識の中の微妙な動きを敏感に捕え、軽妙な七・五のリズムに乗せて洒脱に仕上げる、これが肥後狂句の本領であります。
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今回の寺子屋塾では生徒さん方に肥後狂句を作っていただきました。ほとんどの方が初めての経験でしたが、その出来映えには冨永兆吉先生も感心されていました。
「笠」は生徒さん方におやつ代わりにお配りした肥後駄菓子「寒菊」と、「若さ若さ」です。いくつかを紹介します。
寒の菊 ほうじ茶よりも緑茶ばい
寒の菊 とろける甘さ幼い日
寒の菊 月の巡りの早うなり
若さ若さ アイドルはみな知っとらす
若さ若さ 今日のドレスはアイボリー
若さ若さ 腰ひんまげて踊りよる
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