ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.134 「大王のひつぎ海を渡る」

講師/宇土市教育委員会 文化振興課長 髙木 恭二 氏

 宇土の馬門石は阿蘇ピンク石とも呼ばれる薄紅色の美しい石です。古墳時代から切り出され、それは海を渡ってはるばる畿内まで運ばれ、大王のひつぎに用いられました。今、宇土市ではこの古代史の再現へ向けて壮大なプロジェクトが進行中です。実際に石棺を製作し、復元した古代船に載せて運ぼうというものです。計画では来夏に実験航海が予定されています。今回の講師、髙木恭二氏はその推進役のお一人。馬門石から見えてくる古代のロマンを語っていただきました。要旨をご紹介します。


ピンク色の馬門石


 宇土市網津町の馬門地区で産出する馬門石は阿蘇ピンク石(阿蘇溶結凝灰岩)とも呼ばれる薄紅色の美しい石です。阿蘇が八~九万年前に大噴火した時、火砕流が冷えて固まって生まれたといいます。
 馬門石はその美しい色とともに軟らかく加工しやすいため重宝され、江戸時代、宇土細川藩は馬門地区を御用石切場にして特別に保護しました。切り出された石は今に残る日本最古の水道・轟泉水道の石管や、蔵米の荷揚げ場に架かる石造の船場橋などに使われています。
 従来、馬門石の歴史は江戸時代以降とされてきました。それが古墳時代までさかのぼることが学問的にも裏付けられ、俄然注目される存在となったのです。


海上輸送で畿内へ


 私は長年、阿蘇石製石棺を調査研究してきました。そのなかで玉名や氷川流域の石棺が海を渡って畿内に運ばれたことを突き止めました。『石棺輸送論』として論文にもまとめましたが、そのときの石は同じ阿蘇溶結凝灰岩でも灰色でピンク色ではありませんでした。
 その後、奈良県僵原市の植山古墳を調査したときのことです。ピンクの石棺と対面しました。瞬時にこれは馬門石だと確信しました。
 植山古墳は聖徳太子のおばにあたる推古天皇の陵とされており、先に亡くなった息子の竹田皇子とともに葬られています。推古天皇の石室からは石棺の破片が、竹田皇子の方からは目にもあざやかなピンクの家形石棺が完全な形で出土しました。
 しかしこの馬門石の阿蘇ピンク石も十七、八年前までは二上山ピンク石というのが定説でした。宇土から遠く離れたこの地に、六トンもの大王の棺をはるばる運ぶというのは想像を超えたことだったのでしょう。
 馬門石で大王の棺が造られている例は植山古墳だけではありません。継体天皇とされる今城塚古墳(大阪府高槻市)もそうです。
 実は来夏に向けて準備を進めている「大王のひつぎ実験航海」事業はこの継体天皇の石棺を馬門石で復元製作し、「修羅」(重いものを運ぶソリに似た古代陸送具)で海岸まで曳き、丸太のいかだに載せ、木造の古代船で曳航していこうというものです。海上ルートは有明海~東シナ海~玄界灘~関門海峡~瀬戸内海~大阪湾までの約八百キロメートル、期間は三十~四十日間を予定しています。


古代と海のロマン


 実験航海は壮大なプロジェクトです。私は『石棺輸送論』を書いた頃からこの計画をひそかに夢見ていました。でも夢は夢で終わるだろうなとも思っていました。それがいま具体的に着々と進行中なのです。古代船も進水し、修羅の製作も追い込みにかかっています。本当に感激のほかありません。このうえはぜひとも成功させなければと覚悟しています。
 もちろん不安はあります。その最大のものは何かのアクシデントで馬門石の石棺が海の底に沈んでしまい、それこそ水の泡になってしまわないかということです。でも大丈夫です。そのときは心強い協力が得られます。九州・沖縄水中考古学協会の皆さんです。ユーモアまじりに「海の中は自分たちの出番。任せなさい」と胸を叩いて下さいました。
 言うまでもないことですが、この事業は多くの方々、関係機関・団体等の協力があってこそです。熊本の馬門石から見える古代と海のロマンを皆さんもぜひ共有して頂きたいと思います。


[実行委員会校正団体]
石棺文化研究会 (社)熊本青年塾 読売新聞社 宇土市
[航海協力機関・団体]
独立行政法人・水産大学校 九州・沖縄水中考古学協会
問い合わせ
「大王のひつぎ実験航海」実行委員会
宇土市心小路町95 宇土市教育委員会文化振興課
TEL:0964-23-0156 FAX:0964-58-1005