ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.133 「阿蘇山信仰-古坊中-」

講師/県立図書館勤務 県文化財保護審議会委員 佐藤 征子 氏

火を吐く阿蘇山は原始時代から信仰の対象として崇められてきました。これに山岳仏教が結びつき、草千里周辺の古坊中とよばれる一体は一大霊場と化しました。37坊中51庵が立ち並んだといいますから、現在ではちょっと想像できない壮観さです。
今回は「古坊中」を長年にわたって研究なさっている佐藤征子さんに当時の隆盛ぶりやその後の変遷などについて「阿蘇山信仰-古坊中-」と題してお話いただきました。要旨をご紹介します。




火を吐く山への信仰


 阿蘇山上はかつて山岳仏教の一大霊場でした。「三十七坊五十一庵」が建ち並び、今では想像できない別世界でした。
 背景に火山信仰があるのは言うまでもありません。阿蘇山については中国『隋書』にも「阿蘇山あり。その石、故なくして日起り天に接する者、俗以って異となし、困って祷祭を行う」と記されているほどです。
 阿蘇の噴火は国家的な変事の予兆と意識されました。その都度、大がかりな読経や祈祷、賑給が行われています。賑給とは珍しい人や老人らに施しをすることです。異変が起こるのは国を治める者の不徳のせいと考えられており、善政を施すことが望まれたからです。
 阿蘇神社とのかかわりでは、祭神の健磐龍命はもともとは火山神でした。つまり阿蘇山そのものが信仰の対象であったわけですが、それが開拓神(農耕神)へと移っていきました。自然神から人格神への移行です。
 ただし自然神としての名残は受け継がれています。そのよい例が御田祭です。神への供物の膳を頭の上に乗せて運ぶ宇奈利の人数は十四人です。阿蘇神社に祀られているのは十二神ですから供物の膳も十二でいいはずです。それがプラス二神なのは自然神としての火の神と水の神に捧げるためです。


壮観、立ち並ぶ37坊51庵


 霊山・阿蘇山の開祖は最栄読師とされていますが、その開山には二説があります。一説は神亀三年(七二六)に天竺から来朝した最栄読師が阿蘇山上で健磐龍命と対面し、その本地として十一面観世音菩薩を刻んだといいます。もう一説は、最栄読師は比叡山慈恵大使の弟子に当たる方で天養元年(一一四四)、阿蘇大宮司友孝の許しを得て阿蘇山に住んだというものです。
 阿蘇文書によれば、十四~十六世紀にかけて最栄読師が十一面観世音菩薩を安置したと伝えられる西岩殿を本堂として、宗徒および行者と呼ばれる僧侶の坊舎が三十七、それに付属する山伏の庵が五十一を数えました。これが阿蘇坊中の隆盛を指して言われる「三十一庵」です。なお、しばしば「三十六坊」とも呼ばれますが、これは語感上からのことと思われます。また「坊」とは僧侶や彼らの居住する坊舎、参詣者の宿坊などを含む全体の呼び方で、これらの集まりが「坊中」です。
 いずれにしても、阿蘇の山々に僧侶たちの読経が流れ、山伏たちの吹き鳴らすほら貝が響き、多くの参詣者で賑わった盛況ぶりはさだめし壮観だったことと思われます。
 噴火の記録も残されています。その中で興味深い例として「文永九年ヨリ道十一年ニ至ル寶池ノ鳴動大噴火」があり、この項には蒙古襲来のことが記されています。さらに「弘安四年異賊襲来ノ奇瑞」ともあります。寶池とは噴火口のことを指しますが、二度にわたる元冦の文永・弘安の役と阿蘇噴火との関連がうかがえます。
 このことを単なる偶然として片づけるのでなく、理性だけではとらえられない自然の摂理といったものがあることを悟るべきではないでしょうか。火を吐く山への畏怖の念こそ阿蘇山信仰を支えてきた源泉にほかなりません。


古坊中から麓坊中へ


 阿蘇坊中は時代により古坊中(山上坊中)と麓坊中(新坊中)に分かれます。これまで話してきたのは古坊中のことです。
 古坊中は阿蘇氏の庇護のもとにありましたが、島津・大友氏の争乱に巻き込まれ没落します。古坊中も兵火にさらされ消失、僧侶や山伏たちも山を下り、四散していきました。
 慶長四年(一五九九)、加藤清正によって阿蘇坊中は再興されます。散在していた僧侶たちを呼び集め、坊舎も再建されました。その場所が阿蘇山の麓の黒川であったことから以後、新坊中のことを麓坊中というようになったわけです。旧来の山上にも本堂および諸堂舎も立てられ信仰は継続されます。
 こうしていったんは荒廃した阿蘇坊中は昔日の反映を取り戻しました。しかし明治の世になると再び試練に直面します。廃仏毀釈令です。三十七坊は廃され、麓坊中の関係者が山上に天台宗西厳殿寺を再興、現在に至っています。寺宝として国指定クラスの重要文化財が数多く保管されていましたが、平成十三年の火災で焼失したのはかえすがえすも残念なことでした。
 以上、古坊中から麓坊中への盛衰をお話ししてきましたが、もとよりこれは概略にすぎません。もっと詳しく知りたい方はこのほど刊行した『阿蘇町史』(阿蘇町発行)をご覧下さい。
 ところで、最近「熊野古道」が世界遺産に指定され話題になりました。わたしは「古坊中」もそれに匹敵する価値があると思っています。みなさんも阿蘇へ出かけた折は自然と人との深いかかわりのなかで形成された山岳仏教の聖地へ思いを馳せてみてはいかがでしょう。阿蘇がまた違った表情で迎えてくれることと思います。