ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.124 「 幸せを招く木の葉猿 」

講師/木の葉猿窯元  永田 禮三 氏

あけましておめでとうございます。ことしの申(さる)年はどんな年になることでしょう。(※1)
そこで新年第1回目の寺子屋塾は縁起のよい木の葉猿をテーマに取り上げました。講師は木の葉猿窯元の永田禮三先生です。お話のあとは実際に木の葉猿づくりをご披露してもらい、手びねりの技を間近で見せていただきました。

※1 2004年1月現在

〔見ざる、聞かざる、言わざる〕

郷土玩具の傑作


ことし平成16年(2004)は申年ということで「木の葉猿」への関心が高まっています。木の葉猿を50年近く作り続けている私としては大変うれしいことです。

由来は、養老年間といいますから奈良時代、今を去る1300年余前に遡ります。木の葉の里に侘住まいをしていた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げによって奈良の春日大明神を祭り、木葉山の赤土で祭器をつくり残りの土を捨てたところ猿に化したという伝説から生まれました。

この歴史の古さと、ちょっとぼけたような温かみのある表情。それらが評価されたのか、大正5年、全国土俗玩具番付では東の正横綱にランクされました。

種類は「見ざる聞かざる言わざる」の三猿をはじめ、子どもの猿を抱えた子抱猿、馬乗猿、おにぎりを食べている飯喰猿などがあります。ほかにも三猿の反対の逆三猿や四猿、イチョウに木葉猿をあしらった香立てや小さな三猿のペーパーウェイト(文鎮)もあって、木の葉猿の世界はとてもにぎやかです。


手びねりの妙


木の葉猿のよさは手びねりの妙にあります。型を使わず、指先だけで粘土をひねってつくります。したがって、あのユーモラスなポーズも一つとして同じものはありません。これを3日から一週間かけて乾燥させ、素焼きで焼き上げます。

出来上がりは埴輪のような赤茶色ですが、これをさらに煙でいぶし、独特の黒っぽい色に仕上げます。絵付けする場合も昔ながらの色彩を施します。白を基調に赤と群青色の三色です。

現在はもっぱら置物として愛用されていますが、本来は悪病、災難除け、夫婦和合、子孫繁栄の守り神として広く親しまれてきました。今もお年寄りのなかには「木の葉猿を玄関においておくと、泥棒が入らない」という方がいます。私自身「木の葉猿のおかげで子どもを授かりました」と感謝されることがあります。そんなときは「よかったですね」と素直に祝福し、仕事にいっそうの張り合いも出るというものです。


平和でありますように


今回の干支(えと)づくりにあたってはモデルがあります。近くの古屋敷から出土した江戸期と思われる木の葉猿です。胸に手を合わせ何か祈っているようなポーズに心打たれました。昨今の戦争やテロの悲劇を思うにつけ、深く考えさせられるものがあります。私なりに平和の願いを込めてつくらせていただきました。

玉東町木葉にある私のところにはいろんな方が訪ねてきます。有名タレントの方も多く、これも木の葉猿のお引き合わせと喜んでいます。ときには大家といわれる方もお見えです。

私の先代の頃のことですが、会津八一先生がいらっしゃいました。歌人・書家として知られます。私が先生のお名前を知ったのは『自註鹿鳴集』によってです。大正10年当地に寄られ、八百歌を詠んでおられます。その後先生の偉大さを知るにつけ、なんとかわが家の庭に歌碑を建てたいと思うようになりました。先生の出身地、新潟の会津八一記念館のご好意により先生の毛筆を石に刻むことができ、ようやくのことで念願の歌碑が実現しました。思い立って20年、平成8年のことでした。

今では新潟からわざわざ見学に訪れる人がいて、私としてはささやかながら町おこしの一環にもなったのではないかと思っています。会津八一先生の歌はひらがなだけで書かれています。


「 さるのこのつぶらなまなこにさすすみの
            ふであやまちそはしのともがら 」