豊かな自然と史跡に恵まれた金峰山は「市民の山」として身近な存在です。しかし、火山としての"素顔"はあまり知られていないようです。そこで熊本大学教授で、火山地質学がご専門の渡辺一徳先生を講師にお迎えし「金峰山の成り立ち」と題してお話していただきました。要旨をご紹介します。
普賢岳とのかかわり
金峰山ほど熊本市民に親しまれている山はないでしょう。毎朝の日課のように登っている方も珍しくありません。標高665メートル。山頂からは熊本市街を眼下に、晴れた日は有明海を隔てて雲仙普賢岳が望めます。
雲仙普賢岳といえば、未だ記憶にまなまなしい噴火と、それに続く火砕流が思い起こされます。火砕流では多数の犠牲者を出しましたが、実はその前日、私もその場に居合わせており"命びろい"した経験があります。この普賢岳と金峰山は別府と島原半島を結ぶ同類の火山帯に属しています。
ちょっと気になるところですが、火山帯とはある限られた時代内に噴出した火山が分布する地帯をいい、同一の火山帯にある個々の火山のマグマが地下で連続していることを意味しているわけではありません。マグマはそれぞれの火山の地下で独立に生じて上昇してくると考えられています。したがって、普賢岳が噴火したから金峰山も噴火すると考えるのは短絡的です。
金峰山は20万年前に誕生
金峰火山は阿蘇火山と同じ二重式火山です。その中心的存在である金峰山は一ノ岳とも呼ばれ、二ノ岳、三ノ岳をはじめとする外輪山に囲まれたカルデラ内にできた溶岩ドームです。もっともカルデラといっても阿蘇のような円形ではなく、四角の升形をしているのが特徴です。
金峰山が火山であることが明らかにされたのはおよそ100年前に起きた熊本地震の前年のことです。熊本地震のときにも金峰山が爆発したのではないかと騒がれました。そのため地震の直後には学者によって金峰山の調査が行われましたが、ガスの噴出や噴火などの火山活動を示す特別の異常は認められませんでした。熊本地震は立田山断層が動いたことに伴う地震であることが、最近の私たちの研究でほぼ明らかになっています。
形成時期については、いろいろの意見があり、誕生の時期ははっきりしないものの、年代測定の結果から約100万年前までに外輪部が出来上がり、同じく20万年前に中央の金峰山ができたと考えられます。植物化石から金峰山には直径3キロメートルの湖が存在したことも分かっています。芳野層とよばれる湖成層が観察できるからです。
また立田山、花岡山、万日山なども火山形成後の断層運動や河川の浸食によってできたと推定され、金峰山は熊本自然体を形作っている「風景」とも深くかかわっているのです。
当面の噴火の前兆なし
教科書で「活火山」「休火山」「死火山」という分類を習ったと思います。これは歴史時代以降の噴火記録などに基づいています。いわば証拠のあるなしによるものです。しかし歴史時代はせいぜい二千年に過ぎず、火山の寿命からみればほんの一瞬でしかありません。従ってこの分類にこだわるのはあまり意味がなく、油断されがちな死火山が急に噴火することもあって近年は休火山、死火山といった語は用いられていません。
活火山についても今年の1月、定義が変更され、従来の「過去2000年以内に噴火」から「約1万年以内」へと改められました。この結果、これまで全国で86あった活火山は108となりました。
金峰山はこの定義からしても活火山とはいえません。噴火記録はまったくなく、その形跡も認められないからです。では、一応寿命を終えた火山であるかといえば、そうは言い切れないのが金峰山といえましょう。
周辺では最近も地震が時々起きており、河内には温泉もあります。これらの地震や温泉と金峰火山の関係がはっきりと解明されているわけではないのですが、金峰山がすでに完全に死に絶えた火山であって、今後火山活動が全く起こらないという保証はできないのです。
しかし、だからといっていたずらに不安がる必要はありません。もし、金峰山が20万年ぶりに目を覚ますならば、非常にはっきりした前兆があるに違いなく、不意打ちとか、ある日突然とかいった事態に遭うことはあり得ません。現在のところ活動を再開すると考えられる兆候は認められませんので、さしあたって噴火を心配する必要はないと考えるのが妥当でしょう。
金峰山はいろいろな意味で私たちにとても身近な山です。理解をより深めるため、火山としての金峰山を見ることは大切な視点だと思います。
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