街道には歳月を超えて語りかけてくるものがあります。それらに耳を傾けながら歩いていくとき、途中の風景や史跡などもこれまでとは違った懐かしさが感じられてきます。今回は玉名歴史研究会会長の國武慶旭氏に「豊前街道から長崎街道」と題してお話頂きました。
このところ豊前街道を訪ねています。
豊前街道は豊後街道と並ぶ参勤交代の道でした。熊本市新町の札の辻を起点に、肥後領内の旧北部町、植木町、鹿央町、山鹿市、三加和町、南関町を通り、筑後・筑前を経て豊前小倉へ至ります。このうち南関までは知っている方も多いことでしょうが、県境の向こうについては知らないという方がほとんどと思います。しかし、道というものは横につながっているものです。このつながりが分からないと、本当の道は見えてきません。私はそんな気持ちで南関の先も足を延ばしてみましたが、まずは札の辻から出かけてみることにしましょう。
細川公は豊前街道を通って肥後に入ってきた
札の辻は法令などを掲げる高札場が設けられた場所で新一丁目御門前にありました。現在の新町一丁目清爽園前に当たります。豊前街道はここをスタートし、お城の中を通り抜けた後はほぼ国道3号を北上して行きます。参勤交代の行列の最初の休憩所が御馬下の角小屋です。細川氏はもちろん島津氏もお茶屋として利用しました。在郷商人堀内家の屋敷で質屋・酒屋も兼ねており、今も当時の姿をよく伝えています。
ところで参勤交代ですが、これに似た習わしは豊臣秀吉の時代からあり、家康、秀忠をへて三代将軍家光が定めた「武家諸法度」によって制度化されました。行列の人数など藩の石高によって細かく決められており、肥後藩の場合は千人余りに上ったこともありました。この大人数で江戸まで出かけて行くのですから費用は莫大なもので、江戸での一定の定住の費用を含め五十四万石の半分が当てられたといわれます。妻子を江戸に留めることなどと併せ、幕府の狙いが諸大名の力を抑えることにあったのは言うまでもありません。
豊前街道は植木町味取で国道3号を離れます。ここの味取新町は細川忠利の命令によって元禄年間につくられました。忠利は加藤氏改易後、豊前小倉城から熊本城へ入ります。そのルートが豊前街道(小倉路)でした。『藩請便覧』に「山本郡内平尾山の麓をお通りになったとき、乗物を据えてしばらく休憩され、この所に町を取り立てたらよかろうと御意があった」と記述されています。街道にはこうした歴史が埋まっており、それらと出会うことでまた一段と興味深いものになります。
味取を出ると鹿央町に入ります。ここの善光寺は休憩所に当てられていました。玄関の欄間に細川家の九曜紋が彫り抜かれています。この先は山鹿になりますが、行列は菊池川を渡らなければなりません。なにしろ千人を越す人数に加え馬や駕籠などがあります。さぞ大変だったことだろうと思われます。
忠利の肥後入国ですが、記録によると寛永九年(1632)十二月六日に小倉を発ち、行程四〇里(一六〇キロメートル)を四日路で熊本へ到着しています。八日南関で昼休み、その夜は山鹿で泊まりました。湯の町で疲れをいやしたことでしょうが、その宿泊先は江上太郎兵衛宅でした。江上家は島津、大友と九州制覇を争った龍造寺の系統です。藩主専用「御前湯」も設けられており、豊前街道最大の宿場町としての山鹿の奥の深さを感じさせてくれます。
山鹿を過ぎると豊前街道は西に向きを変え、三加和町に入ります。ハゼ並木が続く長野原の道は「歴史の道百選」に指定されています。光行寺はお茶屋跡で、藩主が休息した座敷が今も保存されています。次はいよいよ筑肥国境の南関です。
南関は古来からの要衝です。「延喜式」駅路によれば宿駅が置かれました。豊前街道時代は「松風の関」(大津山の関)を構え、「南関」の名は、瀬戸の所を境に「北の関、南の関」と呼んだことに由来します。街道はまだまだ続きます。この先からは筑後の国(柳川領)です。
長崎街道と合流、「筑前六宿」を経て小倉へ
南関を後にした豊前街道は秋月街道と交差し、長崎街道へと合流します。その地点にあるのが山家(やまえ)宿です。私は細川本陣跡の山田家で興味深い話を聞きました。それは細川藩の参勤交代行列が着く以前に、人数などの行列の詳細が南関から伝えられた旨を記した「外聞」資料を見せてもらったことです。これから当時の有様をうかがうことができ、また宿場同士が国境を越えてつながっていたことがわかります。街道は単なる交通路でなく様々な情報が行き交うルートであったことを改めて実感させられました。
山家宿を含めて筑前福岡領内を通行する長崎街道には六つの宿駅があり、「筑前六宿」と呼ばれました。黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田です。筑前六宿には肥後藩内でも見かけられる構口(かまえぐち)と称する石垣も見られました。宿駅の入り口を示す構造物で、街道のシンボル的存在です。
今回は駆け足で説明させて頂きましたが、私はこれからも豊前街道を実際に歩き、もっと勉強していきたいと思っています。みなさんもゆっくりのんびり街道の旅を楽しんでみてはいかがでしょう。
|
|