ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.103 「 宮本武蔵先生と二刀流 」

講師/剣道範士八段 熊本県剣道連盟副会長 お茶の三翠園会長  八木 夫兵衛 氏

宮本武蔵にいま新たなスポットが当てられています。来年(平成15年)のNHK大河ドラマの決定、コミック漫画「バカボンド」のヒットなどが理由ですが、それよりももっと深いところで、武蔵の生き方が今の混沌とした時代にあってさまざまな示唆を与えてくれるからでしょう。人吉でお茶の三翠園を営む八木夫兵衛さんは二刀流の剣道範士八段として知られていますが、その信条や生活態度などにおいても宮本武蔵を信奉することひとかたならぬものがあります。八木さんの心のなかの武蔵像を語ってもらいました。


千日の稽古を鍛とし 万日の稽古を練とす


私は宮本武蔵先生とは深い縁(えにし)で結ばれているとひそかに思っております。そもそも私の剣道開眼のきっかけとなったのが二刀の使い手との試合でした。その相手に完膚なきまでにやられてしまったのです。もうくやしくてたまりません。なんとか強くなりたい。その一心で私も二刀の習得に励むことになりました。おかけで48年の千葉国体でわが熊本は団体準優勝、続く出雲国体では初の優勝をかちとることができました。

武蔵先生は単に剣の達人であったばかりでなく、書画、木工、金工などにもすぐれた業績を残されています。それも『五輪書』に書かれているように「兵法の理にまかせて、諸芸諸能の道をなせば、万事において、われに師なし」。つまり独学で得たものです。武蔵先生の領域には及びもつきませんが、私の二刀も自分なりに創意工夫して身につけたものです。そのなかで幾度も壁に当り、悩むこともしばしばでした。しかし、そうした場合でも私を支えてくれるのが武蔵先生です。「千日(せんにち)の稽古(けいこ)を鍛(たん)とし、万日(まんにち)の稽古を錬(れん)とす。能々吟味(よくよくぎんみ)有(あ)るべきもの也(なり)」。私は現在八十一歳ですが、毎朝の素振りを欠かしません。正確に数えているわけではありませんが、まもなく万日の稽古に届くかなと思っているところです。


剣禅一如と般若心経


来年のNHK大河ドラマに「宮本武蔵」が決まりました。私にもあちこちから取材がきていますが、昭和60年、松本幸四郎さんが東京・歌舞伎座で宮本武蔵を演じる際、県の依頼を受けて演技指導に行ったことがあります。幸四郎さんという方はとても立派な方で、私の指導にも素直に「はい」と返事をするのには感服しました。稽古が終わったあと、私は般若心経を唱えることを提案しました。これにも素直に従うばかりでなく、ご自身も私と一緒に朗唱されるのにはまたまた感服しました。歌舞伎の名門とはかくあるものかと思ったことです。

般若心経は県武道館元館長の故一川格治師から教えられました。「あなたのキャリアはもう勝ち負けにこだわる段階ではない。それよりも心と技のつながり、すなわち剣禅一如の境地を探求してみてはいかがでしょう。それには般若心経を読むことです」。剣禅一如。それは武蔵先生が到達した境地にほかなりません。以来、私は毎朝自宅道場の武蔵観世音菩薩の前で般若心経をあげております。といっても、もちろん道遠しです。武蔵先生の偉大さをますます痛感するばかりです。ただ、般若心経や松本幸四郎さんと出会えたこと。これも武蔵先生の引き合わせ、武蔵先生とのゆかりだと感謝しています。


「気」が満ちる霊巌洞


武蔵先生との縁といえば、『それからの武蔵』があります。この小説は題名どおり巌流島以降の武蔵先生を想像力ゆたかに書いたものですが、作者の小山勝清は球磨郡相良村の生まれであり、執筆した部屋というのが人吉の今は私の住まいなのです。しかもその2階の部屋は私が「武蔵明倫館道場」と名付けた道場になっていることも不思議な縁というほかありません。

私は年に何度かは熊本市金峰山麓の霊巌洞を訪ねることにしています。この地は武蔵先生が『五輪書』の筆を執った"聖地"です。私はここに立ち武蔵先生の「気」をいただくことをなによりの喜びとしています。新たなエネルギーが足の裏からはいあがり、体中に満ち満ちてきます。武蔵先生こそは「私の心の師」、そのことをつくづくと体感する瞬間です。

ところで、私の本業はお茶屋です。お茶が1年365日おいしくあり続けるためには買い付け、加工、保存、貯蔵、袋詰めとどれ一つもゆるがせにはできません。それぞれが真剣勝負なのです。私はこの厳しさ、集中力を剣道で学び、武蔵先生に教えていただきたいと思っています。しかしその頂(いただき)はまだまだ見えず、剣禅一如ならぬ剣茶一如を目指す精進を今なお続ける毎日です。

吉川英次『宮本武蔵』ですが、私は結びの文章が好きです。滋味あふれるものがあり、時々声に出して読み上げています。



「波騒(なみざい)は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い雑魚は躍る。けれど、誰が知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」