熊本県の代表的特産品に球磨焼酎があります。現在、産地の人吉球磨地方には蔵元が28あり、それぞれの味を競っています。寿福酒造場はその1つですが、ここは球磨焼酎ただ一人の女性の杜氏がいる蔵としても知られます。寿福絹子さんに「女性杜氏の心意気とこだわり」と題してお話して頂きました。要旨をご紹介します。
みなさん、今晩は。こうした席で話すのは初めてのことで大変緊張しております。何を話していいか分かりませんが、球磨焼酎とともに過ごしてきたこれまでの半生を一人の人間として、また一人の女性としての立場から述べてみたいと思います。
わが家は明治23年の創業、代々続いた焼酎屋です。蔵も住まいも一緒ですから、私が生まれて初めて感じた香りは間違いなく焼酎の匂いだったことでしょう。そういうなじみの環境の中で育ったとはいえ、将来、焼酎屋を継ぐことになろうとは夢にも思いませんでした。それが家の事情で25歳のときから焼酎づくりに携わることになりました。
球磨焼酎は昭和50年代、大きく変わりました。製造方法がそれまでの常圧蒸留から減圧蒸留へと移っていったのです。理由ははっきりしています。減圧で造った焼酎はソフトで飲みやすいと驚くほどの勢いで売れたからにほかなりません。そのなかにあって、わたしは常圧にこだわりました。現在、球磨焼酎28蔵元のなか、常圧・減圧の双方を作っているところはあっても常圧のみはわたしのところだけになりました。
2タイプの異なる味わい
ここで常圧蒸留と減圧蒸留の違いを簡単に説明しておきます。
通常、水は1気圧のもとで100℃で沸騰します。この状態が常圧です。昔ながらの球磨焼酎はこの状態下でもろみを蒸留させアルコールを抽出します。一方の減圧方式は蒸留機の中の空気を減圧し、低温(沸点・40~60℃)でもろみを蒸留させるやり方です。そのため沸点の高い成分(強い香りや風味など)は蒸留されにくくなり軽くソフトに仕上がります。これに対し常圧には多種多様な成分が含まれますから香りや味の個性が強く出てきます。こちらはいわばハードタイプというわけです。
問題はこの「強い個性」です。それが「焼酎はくさい」ということに結びつき敬遠されました。せめて「香りが強い」ぐらいに言ってほしいのですが、ともあれわが家の蔵の焼酎はさっぱりです。わたしは外見こそ元気者に見えますが、心のなかで泣く日が続きました。心配して減圧に切り換えることを勧めてくれた人もいました。でもそういうご本人も従来の焼酎への愛着はやはり深いのです。決して球磨焼酎の伝統は消えていない。いや、消してはならない。わたしはその一心で1日1本でいいから売っていこうと歯を食いしばって蔵を守ってきました。
誤解のないように言っておきますが、わたしはここで常圧、減圧の優劣をお話しているのではありません。焼酎はあくまでも好みの問題ですからどちらを選ぼうと構いません。ただ昔ながらのよさがなくなってしまうのはいかにも惜しいし、お客さまにとっても選択の幅を狭めてしまってはいけないと思うのです。
子育てに似た焼酎づくり
わたしは手造りにもこだわります。原料の米を運ぶ道具は今も手桶です。これはかなりの重労働で息子たちも音をあげるほどですが、機械化する気はさらさらありません。苦労があればこそ焼酎への愛情も一層増すというものです。米も徹底して吟味します。焼酎づくりの決め手はなんといっても米にかかっています。当然コストは上がります。経営者として失格かもしれません。でも、杜氏寿福絹子としては妥協できません。
焼酎づくりは子育てに似ているとつくづく思います。ポイントの温度管理ではそれこそ赤ちゃんに添い寝するよう寝ずの番をすることもしばしばです。湯たんぽを入れてあげることもあります。もろみがぶつぶつ発酵している音は赤ちゃんのつぶやきに聞こえ、焼酎づくりはまさに生きもの相手の仕事であることを実感します。そんな生きものをゆっくり時間をかけ、いいものを引き出し悪いものは出ていくようにしてやるのです。子育てと同じです。
常圧焼酎は長く寝かせば寝かすほど熟成します。わたしはこの特徴を生かした楽しみ方を紹介しておきたいと思います。例えば5年後に定年退職される方がいるとします。買ってきた焼酎に何かメッセージを記して貯蔵しておきます。新聞紙に包んで日陰の場所に置くだけで十分です。そして5年後、開封して飲んでみて下さい。「ご苦労さんでした」という声がしみじみと聞こえるようなおいしい焼酎になっています。奥さんがこっそり用意しておくのもいいものです。またお孫さんの誕生記念はいかがでしょう。20年後の味はさぞや格別のことと思われます。
球磨焼酎づくりは10月から翌年4、5月までがシーズンです。いま、その仕込みの真っ最中です。わたしも早く帰ってあげないといけません。焼酎という名前の子どもが待っていますから。本日はつたない話をお聞き頂きまして本当にありがとうございました。
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