ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.099 「 肥薩線と球磨川 」

講師/くまもとの旅編集長  末吉 駿一 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「肥薩線と球磨川」です。


いま、仕事を通じて思うことは


私がいましていることは--「毎日新聞」連載の(毎週金曜日)「末吉駿一日向往還を歩く」。とNHK(月一回)の、「熊本歴史街道」、それと「くまもとの旅」。

「日向往還を歩く」は国界を超えて高千穂まで続ける。もう一歩先が知りたい。来年2月まで。今年一年で45週分書いたというより歩いたことになります。

NHKの方は三年目も終わろうとしていますから30ヶ月、30回ということでしょうか。

「くまもとの旅」は、前の2つと違って私の、会社の"本業"です。

このすべてに私は"現地主義""取材主義"で臨んでいます。だから、たんびたんび、その都度現地に足を運んでいます。今迄幾度となく通ったとこでも、改めて現地に行きます。

現地も(人も物も雰囲気も)変わっていきます。それを観る私の眼も変わります。そんなわけで、非効率、非能率おびただしい限りですが大切なものは残していきたい、伝えていきたいと思っています。


こんな仕事を長い間やってますと、次第に気づいたことがあります。


一つは、これだけ長年やってもテーマにこと欠かないほどわが熊本の風土が(自然風土、人文風土ともに)豊かであることです。その理由は永い歴史があること。その根元は豊かな大地に根ざした農業園だからと思います。なりたちが大地との営みの中にあります。農の営みには祈りと感謝があります。例えば「ひげこ」これは霜の害を守るための「お陽さま」への祈りのシンボルです。他の地方にはありません。天に祈るから豊かな稔りの秋には感謝のかぐらを舞い、多くの祭りが行われます。

工業都市には、祈りは基本的には存在しません(と思います)

二つは、これほど古い歴史を持ち、それゆえに多くの郷土史の本などが出されているわけですが、殆どがあの荒木精之先生の域を脱していません(といったら叱られそうですが)、大津街道は「一枝を切れば一肢切るべし」とか、肥後の維新はおくれて、明治三年に来た」などなど先哲の研究・労苦の跡をなぞるだけで、それから一歩もふみ込んでいないように思われます。私は歴史学者でもなんでもありません。ただ、永い間、こんな仕事に携わっていて、そう思うわけです。足で稼いでないのです。だから今迄以上の突っ込みがないと思います。

三つ目は、だから、当然のように、新しい分野の(歴史的にかかわりのある事なのに)開拓がなされていません。そんなら、私が…無謀ともいえるチャレンジをいたしました。

昨年行いました「古今伝授四〇〇年」に際しての伝授の儀式再現もその一つでした。

いま歩いています「日向往還…」(県の研究調査資料はありますが)も殆どの土の中に埋もれたままだれも書いていません。往還の中には、未発表のことが山ほどありました。--凱旋門のこと、元禄嘉永井手の苦労。山屋のトンネル。阿蘇大神司をかくまうための岩の洞穴。清和文楽の竹本義太夫の石の像などなどを私の目で見て発表させて頂きました。

今日、お話しする予定の「肥薩線」も、やはりその一つです。今まで、誰も手をつけてなかったことです。

もう一つ私が思ったことは、歴史を学ぶことは知識を学ぶことではないということです。

残念ながら学校では5Wということを教えられました。いつ、誰が、どこで、なにを、どうした、ということです。知識が大切でしたから、むつかしい年号を覚えました。嘉年○年とか、西暦○年とか。でないとテストに落ちこぼれます。本当に大切なのは、5Wの知識でなしに、その事柄が、どんな影響を及ぼしたか--それ以後の世のうねりは、ということ--だと思います。私は5Wをすてて、古いものを新しい視点でみるようにしています。今残されているのもの、地元の人にとって当たり前のことを「すごい」と感じるヒントを差し上げるようにと思っています。石橋にしろ、植林にしろ、用水路にしろ、道にしろ、鉄道にしろ、その大工事に奮いたった先人の汗の量を学ぶべきです。教えるべきだと思います。

日本一の石橋--それは流した汗の量が日本一多いということではないでしょうか。


いまの地域おこしの視点のなかで欠けていることはこの「汗」のことだと思います。


「汗を流す」ということです。先祖は、まだ見ぬ子孫のために汗を流したということです。

残念ながら、この教育が戦後はされてなかったと思います。

戦後50年以上経ちました。世の変革に伴って、おしなべて古いものはダメという風潮のなかで、昔の大切なもの、即ち汗の量のものは古くさい、そんな時代じゃないと無視され、さらに抹消されてきました。人情も礼儀もマナーもそうです。だからいま何も残ってない。

爺さん婆さんの語り部のハナシも残されていない。いま、このようにしてふるさと寺子屋塾もせめて貧者の一燈、とうろうの斧みたいかも知れませんが、語り部の記録を残そう、知って頂こうと始めたわけです。


「肥薩線のこと」


肥薩線のことはくまもとの旅110号に詳しく書きましたので、それを読んで頂ければお判り頂けると思います。随分苦労しました。約百年も前、モッコとツルハシで築きあげた一本の線路の汗を書きたかったのですが、「汗の記録」は残っていませんでした。

大畑や矢岳には飯場や作業所が山ほどできたでしょうが、そんな作業の人はどうやって寝泊まりし、食事したのだろう--幾度も現地を車窓から眺めてそう思いました。

線路は残っています。併し、その建設に携わった人の汗の足跡は何もない。いま車窓から「ああ美しい、日本一の風景」と皆喜んでいますが、誰も、「つくるときは大変だったろう」と思う人はいません。いまの若い人は違う教育をされて育ちましたから。

私が、こんなことを申しましたのも年のせいとどうか聞き流して下さい。