ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.098 「 妙見さんと町衆 」

講師/八代妙見祭実行委員会広報委員長  獅子組世話役
お菓子の彦一本舗 代表取締役  飯田 哲 氏

十一月二十三日は八代神宮の「妙見さんのお祭り」。三百五十年の歴史があり、九州三大祭りの一つとして知られる。しかし、その長い伝統や知名度も祭りを愛し、支える人たちがいてこそだろう。そこで今回はその一人、飯田哲さんに「妙見さんと町衆」と題して祭りへの並々ならぬ思いを語って頂いた。


獅子(しし)組二十三年


妙見祭が近づいてきました。まつり好きの私はもう胸がわくわくしています。呼び物の神幸行列はまことに絢爛豪華(けんらんごうか)、九州三大祭りにふさわしい華やかさです。私は行列の先頭で道筋を浄める役の獅子の中に入って二十三年になります。二十年続けると袴をつけ、獅子紋のついた羽織を着ることが許されます。これぞ"男の勲章"、私の大きな誇りです。 祭り当日は午前三時には起床します。ドラを叩きながら起こし役がやってくるからです。近所の人はさぞ迷惑なことでしょうが、この日ばかりはなんとか勘弁してもらっています。

道中ではあちこちの家から招かれます。玄関に半紙が置かれており、獅子が足で踏んづけます。雄獅子、雌獅子の組み合わせですから合わせて二枚。それは神棚に飾られ、「獅子が入りました」と喜ばれます。なによりの縁起物なのです。私が東京の大学で下宿していた頃、家から突然電話が入りました。何事かと思いきや、いま獅子が家に入ったから電話越しにその様子を聞かせようという計らいでした。私はあきれる半面、妙見さんがいかに八代の風土に根づいているかを実感したことでした。


亀蛇(きだ)と笠鉾(かさぼこ)


行列の人気者といえばやはり亀蛇でしょう。亀と蛇が合体した想像上の動物で、八代では「ガメ」の愛称で呼ばれています。妙見さんは北斗七星を祭神とする大変珍しい信仰ですが、その神様を乗せて中国から海を渡ってきたのがこのガメだと伝えられています。砥崎の河原でのガメのユーモラスな暴れっぷりは祭りのハイライトです。なにしろ全体で二百キロを超す巨体ですから迫力が違います。

八代の町衆の心意気をよく表しているのが笠鉾です。八代城下の九町内から各一基ずつ登場します。その装飾の豪華なことは文化財としての高い価値を誇ります。京都の祇園祭に代表されるように祭りは一種の"見せびらかし"の側面をもちます。妙見祭の笠鉾はまさにそれですが、残念ながら行列見物ではよく見ることができません。ただし妙見祭には前夜祭があり、そこで飾っていますからじっくり観察するにはいい機会だと思います。

笠鉾のしるしは「消炎致福延寿」、ようするに火炎を防ぎ、福を招き、長寿を祝う中国の故事にちなんでいます。九基それぞれが由緒を持っており、例えば最初に登場する宮之町の「菊慈童(きくじどう)」は古代中国の皇帝に仕えた少年で、ある山奥で菊の葉したたる水を飲んで仙人となり、七百歳になっても子どものように若々しかったことを祝ったものです。いわれを理解していると興味もさらに増すことでしょう。


祭りはふれあい


祭りにはお神酒(みき)がつきものです。私もたくさん頂きます。すっかりいい気持ちになります。だからといって、もうこれ以上は飲めないなんて言うわけにはいきません。どうして自分のところの酒は飲めないのか、としかられるからです。そこで思うわけですが、祭りというのは一年に一度、お互いを確認し合うことに大きな意味があるのではないでしょうか。

「元気でしたか」「ああたも元気そうじゃね」。そんな簡単な会話だけで心が満たされます。自分も楽しみ、町の人も楽しむ。妙見祭にはそうした雰囲気がいまも色濃く残っています。だからこそ、妙見祭は私にとってかけがえのないものなのです。

それと祭りはやはり粋(いき)でなくてはいけません。衣装に必要以上にお金をかけます。見えない裏地にあえて凝ります。昔の話ですが、祭りが終わるとそのまま質屋に直行というケースもあったそうです。私にしても当日の出で立ちはなかなかのものです。人がなんと言おうと自分では「カッコいい」と確信しています。そうでなければやっていられません。祭り好きの男のせめてもの"美学"とご推察下さい。

ところで、祭りそのものは夕方には終わりますが、獅子組は熊本城下札の辻(旧街道の起点)から丁度十一里の、中島で夜八時頃まで獅子舞を披露します。ここにはいわゆる祭りの通と言われる人が集まってきて、あれこれ評価したり、掛け声を飛ばしたりとにぎやかです。八代獅子組の粋を見せる晴れの場です。

さて、その妙見祭。いよいよ十一月二十三日に迫りました。皆さん、ぜひ八代へお越し下さい。