矢部町の「八朔祭」は、旧暦8月1日の八朔の日に五穀豊穣を祝う祭りとして代々受け継がれている、熊本を代表する祭りのひとつです。現在は9月の第1土曜・日曜に行われており、自然の材料を使った県下最大の「大造り物」が町中を練り歩きます。
今回は甲斐町長を始め矢部町の職員の皆さんがこの「寺子屋塾」のために、わざわざ昔の貴重な写真など約36枚をスライドにして用意して下さいました。スライドのタイトルを「矢部町八朔祭を語る」 for 寺子屋塾と題し、甲斐利幸矢部町長に祭りにかける町民の思いや、祭りの歴史などについてスライドを交えながらご講話いただきました。その要旨をご紹介します。
八朔祭のおこり
矢部町の八朔祭は、宝暦8年(1758年)に矢部郷の不作を心配した細川藩が、矢部手永の庄屋に命じて豊作祈願を行ったのが始まりと言われています。その歴史は通潤橋よりも古く約250年前から町民によって代々受け継がれてきました。祭当日、旧暦の8月1日は別名八月の朔日と表現されることから「八朔祭」とよばれています。
八朔祭は迫力ある「大造り物」の引き廻しが有名で、竹・松の皮・はぎ・すすき・シュロなど山野に自生する材料を使うのが特徴です。高さは3メートル程もあり県下でも最大の大きさです。町内の各組が技術を競いあいながら造りあげ、その年の世相風刺や庶民の願望などを上品な洒落を交えて表現します。
この祭りは、浜町中心の商家の皆さんが日頃商店街で買物をしてくださる農民への感謝と日頃の苦労を慰め地域の皆さんに楽しんでもらおうと奉納するようになったのが起源です。
町民全員が主役
矢部町は、昭和30年ごろ浜町と5つの村が合併し今の矢部町になりました。
私の家は名連川村にあり、子供の頃は浜町の子供たちが祭りの時に造り物の引き廻しや三味線の合いの手を入れたりしているのを見ていつもうらやましく思っていました。矢部町は三味線が盛んな町で、昔から三味線のおはやしも名物となっています。
現在矢部町には12の小学校があり、保育園もありますが、そこに通う子供たち全員が鼓笛隊や踊りの練習は大変ですが、「矢部の子供たちは祭りの主役として町を練り歩く体験ができていいですね」と外部の方から言葉をいただいています。また「総踊り」では「八朔音頭」に合わせて、各職場や団体などが参加して町中を踊り歩きます。老若男女が参加する八朔祭は、まさに全町民が主役の祭りなのです。
極秘で造られる大造り物
八朔祭は前夜の「朝おこし」から始まります。出だしを「狐つき」と言いますが、その意味は狐に憑かれたように夢中になることからこう呼ばれています。祭りが終われば、狐を落とすということで「狐ばなし」と言い、祭りにほうけた気持ちを覚まします。
八朔祭の呼び物の大造り物は約2週間かけて造りあげますが、造る前の材料集めの方に時間がかかります。茅は蘇陽へ、不知火には松かさ、阿蘇へはシュロなど町民たちはそれぞれ何がどこにあるか採集する場所をみんな知っていて、採りに出かけます。造り物は各組で違いますので、おおよその原図を描いてそれを見ながら宙に造っていきます。まずフレームを造り、外側をワイヤーなどでくくりつけ、材料をはめ込んでいきます。目だけは人工物を使用していいので、ライトなどを使ってリアルさを演出します。各組、祭りの当日までお互いが何を造っているのかを秘密にするので、昔は隣組からお嫁さんをもらった場合、造り物を造る間は実家には帰さないということもあったようです。そのくらい、造り物に対して気持ちを入れ込んで造っているわけです。
当日は、造り物を台車に乗せて町中をゆっくり引き廻します。今年は10基造り物が出される事になっていますが、各組の造り物にはそれぞれ特徴があります。人の立ち姿が得意な組、動物や鳥が得意な組、また材料も組によって竹を輪切りにし、うろこがわりに使うのが得意な組、採ってきた材料を加工してパーマ風にしたりするのが得意な組など様々です。
造り物は祭りの当日、披露した時が最も旬です。時間がたつにつれ、自然の材料を使用しているので変色してしまいます。昔は電線がなかったので特に規定はありませんでしたが、現在は高さが3メートルと決まっています。しかし、造っていくうちにだんだん大きくなり、規定より大きくなってしまうこともあります。その時には、サスマタで電線を押し上げながら町中を引いて廻ります。
今年の「八朔祭」は9月1日・2日 (※)
八朔祭は矢部町民の祭りに対する意気込み、造り物を造る人たちのほこり、プライドを発表するものであり、観光客にそれを見てもらい評価してもらうことが喜びでもあります。昨年は、2日目だけで約10万人の観光客がありましたが、13,000人を割る人口の矢部町にこれだけの人出があるというのは、この祭りがいかに大規模で、かつ多くの人に注目されているかのあらわれだと思います。福岡からの観光客が多く意外と熊本市内の方は矢部のことをご存じないように思います。
熊本市には矢部町につながる国道266号(通称浜線バイパス)が通っていますが、この名前の由来は、矢部の浜町へつながる道ということからそう呼ばれていることを熊本市内はおろか矢部町の人にもあまり知られていません。浜線の先には矢部町があるということを認識していただき、もっと矢部を身近に感じていただきたいと思っています。矢部町からは高千穂へは40分、阿蘇へも40分で行くことができます。
私もよく市内に出かけますが、市内の方にとって矢部町は秘境の地というイメージがまだまだあるように思います。通潤橋の放水もさることながら、八朔祭の造り物を実際に目にしてそのすばらしさを理解していただきたいと思っています。今年の八朔祭は、ぜひ大物造り物を見においでください。
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