ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.091 「 小代焼(しょうだいやき)あれこれ 」

講師/小代焼ふもと窯  井上 泰秋先生

熊本県を代表する焼物の一つ「小代焼」。その美しく深い味わいは、日本人の心を魅了しています。焼き物としても古い歴史のある小代焼の起こりやその特徴について、小代焼ふもと窯の井上泰秋先生にご講話いただきました。その要旨をご紹介します。


小代焼の魅力


小代焼は八代の高田焼きと並んで、400年の歴史を持つ熊本の焼き物です。荒尾市、玉名市、南関町に連なる小岱山の山麓で産出されるので小代焼という名で呼ばれていますが、その他に五徳焼、松風焼などの別名もあります。とくに、五徳焼とは、「毒を解し、湿気残らず、腥臭(せいしゅう)住めず(生臭さがうつらない)、物腐らず、永年長寿をなす(長寿が得られる)」という五つの特徴があると評されたことに由来した名称です。現在、私を始め、荒尾市に6つ、熊本に1つ、南関町に5つの窯元があり、それぞれの技法で独自の焼き物を作り続けています。鉄分の多い小岱山の粘土を原料とし、灰釉の流しぐすりをかけるというのが共通する小代焼の特長で、炎の加減でいろいろな風合いが醸し出されます。色によって一般に青小代、黄小代、白小代、飴小代に分けられています。親しみやすい素朴さと、控え目な品格が時代を超えて愛されている理由なのでしょう。


小代焼の発祥は ――― ?  通説をくつがえす窯跡の発見


小代焼の歴史は古く、その名前が登場するのは1632年(寛永9年)。丹後国の源七という陶工が細川氏を慕って共に下向し、熊本の地に窯を開いたといわれています。また、その発祥の場所は南関町というのが通説となっています。しかし、私自身、いろいろと調べてみましたが、どうもそうではないようです。まず場所ですが、小岱山の北側 ― 南関ではなく、材料の粘土がとれる西側 ― 荒尾の方だと考えるのが妥当です。

さらに、以前荒尾のある知り合いのお宅にお邪魔をしたとき、そのお宅のお風呂場の竈に、「トチミ」が乗せてあるのに気づきました。お伺いすると、「自分の畑の中から偶然出てきた(何かはわからない)」と言われるのです。トチミとは窯道具の一つで、これが出るということは、確かにそこに窯があったことを示す証拠になります。早速その場所に案内して貰い試掘をすると、はたしてそこからは多くの陶片が出てきました。

かなり古いもののようですので、「有田陶磁器文化会館」に持っていき、専門家にお見せしたところ、「これは大変なものです」と大変驚かれました。その陶片からは ①朝鮮式の陶器 ②時代は通説の1632年より古いもの ということがわかりました。そこで昨年3月、熊本県、荒尾市の関係者が見守る中、陶片が出た場所を本格的に発掘をしたところ、とうとう古いかまどが出てきました。窯跡の発見です。その瞬間大きな拍手がわき、私は鳥肌が立つ感動を覚えました。

幅はそれほど広くありませんが、10数メートル続く、登り窯のあとがありました。これは日本式ではなく、あきらかに朝鮮様式の窯です。おそらくここに窯を開いたのは朝鮮半島から来た陶工であったろうと思います。その後専門家にも来ていただき、6月には小代焼発祥時の窯跡と確認されました。

この発見でいままでの小代焼はもちろん、九州の焼き物の歴史がいままで以上にはっきりしてくることと思います。今後、さらに詳しい調査がされていくことでしょう。


21世紀へ伝えたい「本物」の心


小代焼は加藤清正~細川家の御用窯として庇護を受けた焼き物でした。発祥から400年を経た今、その歴史を絶やさないために、また、21世紀に何を残していくかを考えた時、やはり「本物」を残すことが私たちつくり手の使命ではないかと思っています。

今は昔ながらの職人さんが少なくなり、偽物と本物との区別がつかないものが多い時代になってきました。「本物」とは何か。それは誰もが美しさを感じるものではないかと思います。美しいとは表面が「きれい」なものではなく、内面から湧き出てくる「美しさ」を意味します。例えば器であれば、飾るだけでなく使うことでなお魅力が増してくるものが本当の美しさだと思います。私は私の器を求めていただいた方へは必ず、器は飾るだけでなくできるだけ日常生活の中で使用して下さいとお願いをしています。

人の心に響くものを作ることはなかなか難しいものですが、作り手がどんなふうに努力をし、こだわりを持ってものをつくるかが本当に近づくための大きなポイントだと思っています。

窯跡を発見したのち、あらためて歴史の重みと今後の仕事について考える機会を得ました。小代焼を興した400年前の人々に恥じないような、本物の仕事をしていきたいと思っています。