ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.089 「 肥後菊が育った環境 」

講師/崇城大学教授  今江 正知氏

今月の寺子屋塾は肥後六花のひとつ、肥後菊がテーマです。肥後菊は椿、芍薬、菖蒲、朝顔、山茶花とともに熊本の風土と熊本人の気質に培われて今日までそのかたちを伝えてきました。菊づくりに込められた肥後の人々の精神性などを含め、肥後菊が育った環境についてご講話いただきました。その要旨をご紹介します。


精神的風土を反映する園芸


私たちの身の回りには多くの植物がありますが、その中でも一番身近な植物は野菜などの「作物」です。作物は人間が食べるために何千年も前から人間にとって都合の良いように改良されてきました。それは種子をまくとすぐに芽が出て、同じ時期に収穫ができ、同じおいしい味がするという「食」を目的とした同一の価値観です。

しかし花は作物とは違い、美しいと感じる価値観は人それぞれです。したがって、花の改良は各地で多種多様に展開されてきました。その結果園芸は気候や土壌などの自然的風土に加え、ときには地域の精神的風土をも反映するものとなりました。特に熊本には「肥後六花」と呼ばれる独特の栽培法を持つ園芸植物がありますが、そこにはもちろん肥後人の気質が色濃く投影されています。したがって、伝承されてきた栽培法や人々が好んだ形態を見つめることで肥後の精神性を見ることができるのです。


藩主が奨励した園芸


日本では近代になると暮らしの中で花を楽しむ習慣が広まり、地域ごとに独自の園芸文化が発展してきました。特に熊本では八代藩主・細川重賢(しげかた)が宝暦6年(1756)蕃滋園という薬草栽培の施設をつくり、大いに園芸を奨励します。肥後菊の栽培もこのころに始まりますが、細川重賢は肥後菊の栽培を武士の精神修養として位置づけました。その中で菊を栽培するのに不可欠な"虎の巻"ともいえる手引書も作られます。秀島英露(ひでしまえいろ) 著による『養菊指南車』(文政二年)という書は、季節に応じた手入れの方法や花壇の形式、苗の配置などが記された貴重な文献です。この内容は熊本の養菊家の模範となったばかりか、遠く他藩にまで伝えられたと言われます。


武士の修養として肥後菊栽培


肥後菊の栽培にはいくつかの特徴があります。肥後菊の形は、花が一重咲きで平開する薄物の三系統、花弁の形は平弁と管弁の2種類で、色は紅、白、黄です。そして最大の特徴ですが、肥後菊は1本だけで植えるものではなく、花壇に植えられた時の全体の調和の美しさを肝要とします。したがって花壇にはたくさんの種類を植え、前・中・後列と3列にし、高さも低・中・高の順に育てるというような栽培の決まりごとが生まれました。右図のように、花色と花弁の色が異なる6品種が必要ですので、最低18品種を揃えないと、肥後菊花壇をつくる条件が満たされません。花だけの美しさというより「花形」、すなわち茎、葉、花、植え込まれた全体のバランスが求められたのです。

種類が違えば、性質も違う菊を上手に育てることは、個性を尊重しつつ調和をとるリーダーとしての武士の人づくりにも共通することです。その難しい作業が武士の修業として広く認識されていったのではないかと考えられます。


肥後人の菊への思い


肥後六花に共通する特徴は、大輪で平開する一重咲きが基本で、芯の美しさと花、茎、葉のつりあい、さらに濁りのない純色の花色です。肥後の人は見た目の華やかさというより、品が良く、端正で豪壮な花を好んだようです。

肥後の人の花に対する精神性をしめす一つの逸話があります。前述の花壇の中で1本の菊が、何らかの原因で枯れたとします。花の色と形、株の育て方が場所によって定められていますから、別の花壇でいろいろな形質の花を同時に育てておかなければなりません。しかし、枯れたのは菊の所為ではなく培者の責任だから、代役を立てればすむ問題ではない。そこには墓標を立てて死を弔うべきだといった人があったそうです。

その話をアメリカのある民俗学者に話したところ、彼は大変驚いた顔をしました。彼らにとって花は物であり、人にプレゼントをする品でしかないのです。しかし、熊本の人は花を家族に対するような愛情の対象にしていると、大きなカルチャーショックを受けたようです。


門外不出の秘花


肥後の花は「花連(はなれん)」というグループによって伝承されてきました。花連は会員組織で、伝えられた品種は親兄弟といえど会員以外には決して分けられることはありませんでした。また、入会することも大変困難だったといわれます。

このことを排他的という人もいますが、新花の創出も金銭で評価する現代の花づくりの価値観にあてはめてはならないと思います。信頼できない人に花を広めないのは、心ない人に大切な花を託してはならないという思いにほかなりません。これは娘を嫁がせる親のような愛情と考えれば理解がしやすいでしょう。

このようにして肥後の先人が大切に培ってきた肥後六花は、熊本が誇るべき財産の一つと思います。季節ごとにひらく花々を、ぜひ関心を持って鑑賞してみてください。