ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.084 「 蓮華院誕生寺の由来 」

講師/蓮華院誕生寺副住職  川原 光祐(こうゆう)氏

玉名市、小岱山の山のふところに建つ「蓮華院誕生寺」は世界一の大梵鐘、五重の塔などで知られる寺院です。約800年前、肥後阿闍梨皇円(あじゃりこうえん)上人を祀る寺として創建されました。皇円上人は日本三大史書の一つ「扶桑(ふそう)略記」を編述し、また浄土宗の開祖、法然上人をはじめ数千の僧侶を導いた人物です。九州の真言宗筆頭寺院として隆盛を誇った寺の興りと由来、また皇円上人の人物像についてご講話いただきました。その要旨をご紹介します。


肥後の筆頭寺院として


蓮華院誕生寺は真言律宗の寺院です。真言律宗は平安時代に中国から伝わった密教に戒律を加えた宗派で、奈良の西大寺を総本山としています。(ちなみに現在は東大寺が有名ですが、天平時代に東大寺と西大寺が建てられ、創建当時は西大寺の方が大きかったともいわれています)

蓮華院の創建は1275年ですが1274年に起こった蒙古襲来と関係があります。蒙古が日本へ攻めてくると、天皇の命を受け、真言律宗の開祖・叡尊(えいそん)上人は京都の石清水八幡宮で敵国退散の祈祷を行います。その祈祷が功を奏したのが"神風"によって、蒙古軍は退散。その後、全国にお寺が三千ほどあった時代に真言律宗に宗派を変えるなどのため、最盛期には全国に千五百ヶ寺程が真言律宗になったと言われています。

真言律宗では総本山の下に別格本山という寺格がありますが、蓮華院は別格本山としてかつては九州における筆頭寺院でした。以前は高原山蓮華院浄光寺という名で呼ばれ、広大な伽羅を誇る寺院でした。その大きさは『肥後国史』が「蓮華院浄光寺の南大門の門を開閉する音は吉次山(金峰山)に響きし」と伝えているほどです。


日本最初の歴史書「扶桑略記(ふそうりゃくき)」を著した皇円上人


蓮華院の境内には高さ47メートルほどある通称「関白塔」と呼ばれている五重の塔が建っています。五輪の塔としては九州で最大のもので、約750年前に作られています。

蓮華院の本尊は「皇円大菩薩」という方です。皇円上人は関白の藤原道兼から六代目、玉名市築地の豪族だった大野氏の息女を母として、延久5年、玉名郡築地村に誕生されました。以後比叡山に修行し、顕密(密教と一般仏教)の奥義を極め、浄土宗の開祖として知られる法然上人をはじめ、多くの弟子を導きました。

皇円上人は学識が高い人物で、日本最初の仏教の精神にもとづく歴史書「扶桑略記」を編述します。これはそれまで散逸していた日本の歴史・伝説を、系統だてて一つにまとめるという大変な仕事でした。また、上人は神通力にも優れていたといわれ、江戸時代林羅山によって作られた「天狗番付」に「肥後阿闍梨」として記されています。当時密教の修験者は不思議な力を持った天狗と位置づけられており、上人は全国に聞こえた"天狗"の代表格であったのでしょう。

蓮華院は戦国時代まで約300年ほど続きましたが、蓮華院を庇護していた大野氏は、佐賀の龍造寺氏の後ろ立てを得た、小岱氏によって滅ぼされます。以来、蓮華院は300年ほど跡絶えていました。時移り、昭和4年、先々代に当たる川原是信が蓮華院を再興し、現在に至っています。


世界一の大梵鐘「飛龍の鐘」と五重の塔


皇円上人は96才の生涯を閉じられると、末世の中で苦しむ人々を救済するため、龍神となったといわれています。昭和4年12月、川原是信が蓮華院に立ち寄った時、皇円上人が現れ、「我は今より760年前、遠州(静岡県)桜ヶ池に菩薩行の為、龍神入定せし皇円なり。今心願成就せるをもって汝にその功徳を授く。よって今より蓮華院を再興し衆生済度に当たれ」と告げました。川原是信はこの霊告を受け、皇円上人の誕生の地に、蓮華院誕生時を再興しました。後でわかったことですが、その地こそ百年前まで蓮華院があった旧境内であり、その以前は皇円上人の母方の大野氏の館(やかた)跡だったことが発掘調査などで分かりました。

現在、蓮華院の奥の院にある大梵鐘は「飛龍の鐘」と名付けられています。撞けば楽を得、悟りを得るといわれ、多くの修行僧がこの鐘を撞きます。その重さは37.5トンと世界一の大きさで、鐘の音は30キロ離れた対岸の島原まで聞こえます。

また、梵鐘とならんでよく知られているのは五重の塔です。高さは51.5メートルあり五重の塔としてはこれも世界一の規模です。各層で写経や座禅などの修行ができるようになっています。


この世で幸せになるために蓮華院が受け継ぐ叡尊(えいそん)上人の教え


蓮華院の宗派である真言律宗開祖叡尊上人は、真言宗の中から戒律を重んじる真言律宗を立ち上げます。当時は"末法の世"と呼ばれ、天変地異が続発し、飢餓が蔓延した大変な時代でした。上人は「人々が人心を失った世の中で、まず、僧侶が己を正さなければならない」と考えられたのです。また、叡尊上人は身分が低く、差別を受けていた人、また、ハンセン氏病患者などの救済に力を尽くしました。また、病院や橋を造るなどの社会事業も行いました。叡尊上人はまさに日本における社会福祉活動の先駆者でありました。

その教えを受け継ぎ、蓮華院では、国際ボランティア活動(NGO)を行っています。東南アジアやインドの難民やスラムに対して、図書館を作ったり、植林活動をしたりと、細々とですが物的、精神的援助を続けています。

仏教は「(亡くなった後ではなく)この世で幸せにならなくてはいけない、そのためには人を恨んだり妬んだりすることでなく、他人のために尽くすことが、自分が幸せになる一番の近道」だと教えます。私達はその教えを実践し、次の世代にも受け継いで行きたいと考えています。