古い幾重にも重なる古い地層を持つ天草郡御所浦町では、希少な貝や恐竜の化石が続々と発見されています。平成9年には国内最大級の肉食恐竜の化石が発見され、全国的に話題を集めました。熊本が誇る"恐竜の楽園"・御所浦町の化石や、恐竜がいた時代の気候、環境、さらに恐竜がなぜ滅んでしまったかなどについて、御所浦白亜紀資料館長の田代正之先生にご講話いただきました。その要旨をご紹介します。
白亜紀の恐竜発見!化石の宝庫の御所浦町
御所浦町は天草の南東に位置する島です。島全体が古い地層の展示場といってよく、化石が多く出土するので、以前から研究者の間では有名な島でした。
御所浦町東海岸には貝の化石が多く出土する砕石場がありますが、この巨大な壁は「御所浦層群」と呼ばれ、約1億年前もの地層が幾重にも重なる化石のメッカです。ちょうど恐竜がいた白亜紀と呼ばれる時代に相当します。
私は以前高知大学に勤めていて、よく島に調査に来ていましたが、当時からここからきっと恐竜化石が出るだろうと見当をつけていました。恐竜といっても今の鹿や虎と同じ動物と考えれば、動物は川の近くに住むものですし、死んだら川に流されて埋まっていきます。しじみ貝などの化石が多く見つかるということは昔ここに川か湖があったということを示しているからです。
そこで見当をつけながら調査をしていきますと、発掘作業を初めて1週間目に、案の定肉食恐竜の歯の化石が出ました。さらに1週間後に恐竜のすねの骨、1ヶ月遅れて弁天島で足跡の化石が出ました。ある程度予想していましたが、恐竜の化石は一つでも大変大きな発見ですので、このように貴重な化石が次々と見つかることに驚かずにはいられません。
化石でわかる昔の御所浦の気候
中生代のはじめは北半球のほとんどの大陸が陸続きで、今の御所浦町があるところは海でした。地殻の変動は大陸を分離させ、さらに海底を押し上げるなどして現在のかたちになりました。そこで今の私たちはかつて海にいた生物や陸上にいた生物など、いろんな環境の生物の姿を化石として見ることができるのです。特に御所浦町では白亜紀の中頃と終わり頃に生きた珍しい生物が化石として出現します。
これらの化石からは気候のことや、地球がこれまでどういう歴史をたどってきたかということがわかります。たとえば島では大変大きなしじみ貝や巻き貝の化石が見つかっていますが、このような大きいものは現在の日本でとれることはありません。しかし今の台湾や東南アジアの貝はこのようなサイズです。このことから、当時の気候が今の東南アジアに近い暖かな気候だったということがわかります。
恐竜たちが語るメッセージ
白亜紀時代に最も栄えた生物は恐竜です。あの大きな恐竜がなぜ消えてしまったのか。恐竜の滅亡にはいろいろな説がありますが、気候の変化が大きな要因の一つと思われます。 気温の変化は地球の地殻変動と密接に関わっています。地球の中にはマントルと呼ばれるものがあり、ある一定の周期で大きな熱流が表面に上がってくることがあります。これが陸地を変動させたり、急激に温度を上昇させたりするのですが、地球は温度上昇の原因となる二酸化炭素を吸収するなどして高温化をくいとめます。実はこの現象は白亜紀時代にもおこりました。地殻の変動で北極海が開けると、北からの冷たい海水が南下し次々に生物は死滅していきます。もちろん恐竜も例外ではなく、一時期とはいえ寒冷化した地球の気温は、巨大化した恐竜に致命傷を与えました。白亜紀の初め頃は23度あった気温が、白亜紀の終わり頃には16度くらいにまで下がっていたことが現在の研究でわかっています。
このように地球は人間の目から見ると何千万年という長いスパンの中でゆっくりと温度を変化させてきました。しかし私たちはわずかここ数十年で気候を4度もあげようとしているのです。恐竜の化石の発見は、それ自体が貴重ですが、環境の保全とは何か、これから私たちにいったい何ができるのかということも考えさせてくれます。これは恐竜たちが私たちに発しているメッセージなのかもしれません。
御所浦は全島が博物館
御所浦町には、白亜紀中期~後期の地層である「御所浦層群」「姫浦層群」の2つがあります。御所浦層群からは大量の貝化石や、恐竜の骨化石などが出ており、姫浦層群にはアンモナイトやイノセラムスといった大型貝類の化石が出ます。同じ地域から違う時代や環境の化石が見つかるこの島は、地層の博物館といってもよいでしょう。これらの地層を掘ると、特別な研究者だけでなく、誰もが簡単に化石を見つけることができます。
御所浦町では現在「全島博物館構想」が進められており、島内各所に見学地を整備しています。「御所浦白亜紀資料館」では御所浦で発見された貴重な資料を展示、また、生物や地層の歴史などを子供にもわかりやすく解説しています。美しい恐竜の島、御所浦町にぜひ一度おでかけください。
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