ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.079 「 青井阿蘇神社 」

講師/青井阿蘇神社祢宜  福川 義文様

県下の名社の一つである「青井阿蘇神社」は、人吉球磨地方の総鎮守。昔から「青井さん」と呼ばれ親しまれています。その社殿は壮麗で、至る所にきれいな文様や彫刻が施されています。特に安土桃山時代の華やかさを持つ桜門は国指定重要文化財で、かつて司馬遼太郎氏が「華やぎと豪宕(ごうとう)さを持っている」と感嘆したほど。青井阿蘇神社の成り立ち、社殿の魅力などについて、青井阿蘇神社祢宜、福川義文様にご講話いただきました。その要旨をご紹介します。


なぜ「青井」という名称がついた?


皆さんのご近所にも、多くの神社があると思います。どうしてその場所に建っているのか、また、どういう理由や意味を知ることで、神社がより身近に感じられます。今日はその意味を考えながら、青井阿蘇神社についてお話したいと思います。

青井阿蘇神社は人吉球磨地方で最も古い神社の一つで、その創建は806年の平安時代にさかのぼります。御祭神は阿蘇神社と同じ、健磐龍命・阿蘇津媛命・速甕玉命の三神。阿蘇神社の神主であった緒方権之助大神惟基が、神託によって阿蘇大明神を勧請したのが始まりと言われています。ではなぜ、「青井」という名称がつくようになったのでしょう。古文書には「此地者林樹深茂シ中ニ小池アリ 之レヲ青井ト云フ」とあります。今でこそ駅にも近く、わりとひらけた場所に位置する青井阿蘇神社ですが、創建当時のこの付近は木々が林立する鬱蒼とした森でした。そこに池があり、その池が水を満々とたたえ、「青い」ことから、青井という名称がついたのだといわれています。神に供える榊のように、青は生き生きとした緑を意味する縁起の良い色です。思うに、青井とは生命を象徴する美称であったのではないかと考えられます。


四つの神に守られた聖地


今から約800年前、相良氏の統治が始まり、青井阿蘇神社は相良藩の氏神として庇護をうけるようになります。現在の社殿は慶長十八年、相良20代の長毎(ねがつね)によって造営されました。その当時の棟札に「正是神明相応之勝地也」(まさにしんめいそうおうのしょうちなり)という一文が残っていますが、神明相応の地とは、東西南北の4つの方向のそれぞれに神がいる「四神相応の地」という意味です。これは平安時代、中国から流入してきた陰陽五行の思想(世の中の一切は陰と陽の二気によって生じ、五つの行で説明ができるというもの)に基づくものでした。東には青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武という聖獣がいて、その神々はそれぞれ大川、池沼、大道、高山に住んでいます。これを青井阿蘇神社と照合してみると、確かに東に球磨川、南に蓮池、西に道、北方は山に囲まれている土地であることがわかります。

広い人吉球磨地方で何故この場所に‥という疑問も、かつての平安京のように、四神が守る天然の聖地だったからこそこの地が選ばれたのだと納得がいきます。


司馬遼太郎氏も感激した桜門


約3000坪の境内には本殿、幣殿、拝殿、桜門などが建てられています。中でも本殿、幣殿、拝殿、桜門は慶長14年から18年の4年にわたって桃山様式と呼ばれる装飾豊かな手法で造られ、今もその美しい様式をとどめています。全体的には黒を基調にした漆塗りで、細部は朱塗り。また、いたるところに華麗な文様が施されています。特に、国の重要文化財にも指定され、人吉様式と呼ばれる桜門は、作家の司馬遼太郎氏も「この桜門は京都あたりに残っている桃山風の建造物(西本願寺の唐門など)などよりもさらに桃山ぶりのエッセンスを感じさせる」と感嘆したほどです。

青井阿蘇神社をはじめ、人吉球磨地方にはこのような歴史的建築物が多く残されています。これは、相良氏が室町から江戸時代にかけて数多くの社寺を建設したこと、さらに、700年という長い間、藩主が変わらなかったという特異な地域性と無関係ではありません。また、先祖が伝えたものを、子孫が大事に守ってきたという、人良し・人吉の人の心の歴史とも大きくかかわっていることでしょう。


青井さんのまつり「おくんち」


青井阿蘇神社の創建の日は、9月9日です。これは陽数(0~9)のうち、一番大きな数が重なる陰陽思想に基づいた縁起の良い日です。明治の暦の改正で現在は10月9日ですが、古くから9月9日には創建を祝う「おくんち」が行われていました。チリン、チリンと澄んだ音色をさせるチリン旗を先頭に、獅子、御神宝、神輿などの行列が市内を練り歩く賑やかなまつりですが、昔は蓮池の回りだけを巡幸する静かな神事だったといいます。今のようなスタイルになったのは大正から昭和にかけてで、市街地の繁栄を重要視した人吉の人々の要望が背景にありました。ただ、おくんちに供される「赤飯、煮しめ、つぼんしゅる」という家庭で作られる定番の食事や、無病息災を願い、子供の頭を獅子に噛んでもらうという風習は古来と変わらず、今も受け継がれています。

時々、人吉の小学生と話をする機会があり、獅子にかまれたことがある?と聞くと、「痛かった」「全然痛くなかった」という答えがかえってきます。その時には、あの獅子はあなたたちのお父さん、お母さん、もしかしたらおじいちゃん、おばあちゃんの頭も噛んだかもしれないんだよ、と教えてあげます。そんなふうに、神事、そして神社は何代にもわたって皆さんを守っていく存在でもあるのです。

皆さんの回りにある神社の由来や、神事をぜひたずねてみてください。そうすると、もっと私たちの暮らしに身近なものとして感じられるのではないでしょうか。