ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.078 「 ふるさとの植物からのメッセージ 」

講師/九州東海大学農学部部長 「くまもと巨樹の会」会長  戸田 義宏先生

私たちのふるさと熊本にはまだまだ豊かな自然が息づいています。それは私たちの喜びであり、自慢です。でも、ただ美しい、気持ちがいいと感じるだけでなく、一歩踏み込んで自然界からのメッセージに耳を傾けるとき、自然の素晴らしさ、感動はさらに増してきます。戸田義宏先生が植物の世界からのメッセージを語ってくれました。要旨をご紹介します。


植物は「種」を残すために懸命です


うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花       若山牧水

私の好きな歌です。情感に強く訴えるものがあります。日本人の感性がここにある。そんな思いがします。

ところで、一般に植物は雄しべと雌しべが受粉して種子をつくります。きれいな花を咲かせ、よい香りを放ち、甘い蜜を出したりするのも、チョウや昆虫、小鳥たちを呼び寄せ、受粉を手助けしてもらうためです。色とりどりの花を見て、私たちは「きれいだな」と思いますが、しかし、植物の目的は自分たちの"子孫"を残すために必死に花を咲かせているのです。

植物のこうした種の保存にかける工夫には驚くべきものがあります。例えば、これはムカゴです。ヤマノイモなどに見られます。枝の一部分にでんぷんなどの養分を蓄積して肥大し、やがては地上に落下して発芽します。

どうしてこんなことをするのでしょう。それは世の中、何が起こるか分からないからです。雨が長く降り続いて花が咲かないことがあるかもしれません。何かの異変で虫や鳥たちがやってこないとも限りません。そんなとき、手をこまねいていたら絶滅のおそれが生じます。そうならないために花を咲かせて種子をつくるほかにムカゴをつくるという一つの知恵なのです。実に用意周到というほかありません。

スミレも自家受粉します。種子がぱらぱらと地上に落ちます。しかし、一か所に固まって落ちるとお互い栄養の奪い合いで共倒れになるかもしれません。そこでスミレの種子の先端部分には甘い栄養分がついています。アリに運ばせるためです。

福寿草は雪の中でも咲いています。私たちはその健気さに感動しますが、福寿草にしてみれば周囲に花が乏しくなる冬こそ競争相手が少ない、虫をたくさん呼び寄せるチャンスの季節です。花のなかは暖かく虫たちも競ってやってきて受粉の手助けします。それは福寿草には日向制があり、太陽を追いかけるようにして向きを変え、黄金の花弁で光を集めているのです。「まるでパラボラアンテナのようだ」という人がいますが、私はそれ以上だと思います。人の造ったパラボラアンテナを動かすには電気などのエネルギーを必要とします。福寿草は自然のエネルギーを受け入れるだけです。実に立派です。


早い成長がよいとは限りません


皆さんもご存じの子供たちが馬鹿と呼んで遊んでいるオオオナモミという植物があります。「引っつき草」とも呼ばれ、果実の先端にとげがあり、そのとげには下向きの鉤状の剛毛があって、衣服に刺さります。

衣服に刺さるのは言うまでもなく種子を残すためです。さらに種子は一つの袋に二個入っており、発芽する時期も同時でなく別々です。つまり時間差を設けることで危険度を分散させているのです。決してバカでできることではありません。ついでにいえば、この引っつく仕組みを研究して生まれたのが服のポケットや靴ひも代わりに重宝されているマジックテープです。

「クズ(葛)」も受け取り方によっては悪い印象を与える呼び名でしょう。でも、これもたいしたものです。いっぺんにはそろって芽を出しません。同じ条件下に種子をおいても、一週間遅れ、三週間遅れ、さらに一ヶ月遅れなどとまるでばらばらに発芽します。そうすることで、一度に乾燥などのダメージを受けることを免れます。

これと対照的なのがコメを実らせる稲です。稲ももともとは自然界の植物の知恵を身につけていたのですが、長年の人の手による品種改良によって一斉に発芽し、収穫もほぼ同時という現在の形になりました。このほうがスケジュールも立てやすく管理もしやすいからです。しかし、そんなメリットの半面、いったん天候不順ともなれば全国的に不作というもろさとも背中合わせということになります。

このことは人の成長を考える上でも大きな教訓を含んではいないでしょうか。つまり、人にも早咲き、遅咲きいろいろあって、それは理にかなっているということです。特に、お子さんの教育はではあせっていけません。誰にも才能はあり、それがゆっくり後から開花することだってあるのです。


誰にも輝いて見える角度があります


早咲き、遅咲きがあるように、花の開き方にも上向き、下向きがあります。スズランを下からのぞいてみてください。表面や上から見ているだけでは気がつかない薄紅色の色合いを発見することでしょう。それは下から来る虫たちを招き寄せるためにほかなりませんが、私はその美しさに感動のあまり、次のような詩をつくってみました。

 花によせて    とだよしひろ

上を向いている花には
うえを向いている理由があり
下を向いている花には
したをむいているりゆうがあるのです
下を向いている花をその角度から
見ると輝いているのです
私たち人間だって下を向く時
うなだれるときがあります
人もその角度から見ると
どこか輝いているのです
自分自身を そして
おたがいを その角度から
眺めてみようではありませんか


私は長年、植物とつきあってきました。つきあえばつきあうほど自然界の仕組みの見事さを教えられます。そして、私たち人間もまた自然界の一員でありながら、そのことを忘れているのではないかと強く反省させられます。

学生諸君にもよく言うことがあります。「コップの中のノミになるな」です。ノミの跳躍力はすごく、あの小さな体で自分の体の3百倍、4百倍の距離を跳ぶことができます。ところがコップの中にいれておくと跳ぶたびにはね返され、ついにはコップを外しても跳べなくなってしますのです。

私たち人間もいつの間にか自分で自分の限界、すなわちコップを作ってはいないでしょうか。コップを突き破ろうではありませんか。殻を破ろうではありませんか。

人間は一晩眠ればどなたも賢くなっています。大切なことは植物に光と水が必要なように、人には愛と感動が必要だと確信いたします。