ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.076 「 横井小楠 先生 」

講師/前熊本大学教授  中村 青史 先生
県観光連盟主催、県観光物産課後援「ふるさと寺子屋塾」。 熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。 県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに添った内容で、権威ある講師の先生を招き教授して頂いています。


今月のテーマは「 横井小楠 先生 」です。


熊本が生んだ幕末の大思想家・横井小楠。今年は没後130年(生誕190年)にあたり、その人物や思想についてあらためて見直され、数々の記念顕彰事業が企画されています。

開国を唱え、未来を見つめた横井小楠の思想とは何か、また、中央や福井県での横井小楠の評価などについて、前熊本県大学教授の中村青史先生にご講話いただきました。その要旨をご紹介します。


明治政府に参与として迎えられた人物


横井小楠は幕末にあって、国を超えた開放的な思想を持ち、 明治新政府の参与として迎えられた人物です。今年はちょうど小楠の没後130年にあたり、 その思想と人物像は、近年、欧米や中国の日本近代史研究者の間であらためて評価が高まっています。

私はこの30年間、徳富蘇峰、徳富蘆花を研究テーマにしてきました。 しかし徳富兄弟を研究するにつれ、「横井小楠」という人物の偉大な存在を見過ごして通ることができないことに気づきました。

横井小楠とは、いったいどういう人物だったのでしょうか。



明治新政府が誕生するとともに日本は新しい道を歩み始めます。小楠は新しい政府の参与として西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らとともに中央政府に招かれました。いわゆる士道忘却事件で士席を剥奪され、平民となってしまいました。横井小楠は中央政府に入るとともに、突如従四位の位を与えられます。(当時、細川藩主などの殿様階級が四位でした)さらに岩倉具視の相談役も担っており、実質的には総理大臣の職務を行っていたといってもいいと思います。

よく「熊本は明治維新に乗り遅れた」と言われます。しかしそれは小楠を批判、排斥した一部の肥後藩の上級武士や実力者を指しているのであり、私自身は時代に乗り遅れるどころか、小楠によって熊本は"新しい時代のトップに躍り出た"のではないかと思っています。


未来、世界に通じる横井小楠の思想


福井県は住み良さにおいて、全国的に評価が高い県です。 福井の越前藩を立て直し、今の福井県の基礎を築いた人物こそが横井小楠です。 彼と福井の縁は、福井を治めていた松平春嶽の妻、いさ姫が細川護久の叔母であるということからもわかるように、松平藩と、細川藩との密接な関係にありました。

横井小楠は卓越した見識が認められ、越前藩に招聘されます。そこでは政治手腕を発揮し、優秀な人材を育てます。中でも由利公正は小楠とともに殖産産業の事業を成功させるなど、一番弟子としてその名が知られた人物。明治政府最初の大蔵大臣とも言われています。

遠く中央、越前にまで聞こえた横井小楠の思想とはどんなものだったのか。その代表的な思想とはどんなものだったのか。その代表的な思想は小楠の「国是三論」の中に端的に著されました。主なものは、

戦争をやめ、平和主義を貫く。
世界から情報を得る。それは戦争をやめることにもつながる。
世襲制の廃止。(中国古来の思想を軸にしていた小楠ならではの考え)

閉鎖的な時代の中にあって、現代そして未来にも通じる普遍の思想を持っていたことは驚きです。横井小楠は、人々の批判を浴びつつも新しい視点で世の中を見続けました。


近年高まりをみせる小楠研究


「肥後の維新は明治3年に来ました…」徳富蘆花は評伝『竹崎順子』の中でこういう言葉を使っています。しかし、横井小楠はその前年の明治2年、刺客に襲われ京都で60年の生涯を閉じます。横井小楠の死後、その思想を実行し、肥後の政治を担ったのは、細川護久と横井小楠の思想を奉じる小楠の弟子たちでした。農民の雑税を廃止するなど行われた数々の改革は、横井小楠の著書「国富論」の中に著されていた事柄でした。

明治29年、日清戦争の直後、徳富蘇峰はロシアの文豪トルストイに会い、横井小楠の話をします。するとトルストイは、日本に横井小楠のような広い考えを持った人がいるのかと多いに感銘を受けました。

その小楠の考えは、甥の左平太・大平を渡米させた際に与えた言葉によく示されています。


尭舜孔子の道を明らかにし
西洋機器の術を尽くす
何ぞ富国に止(とど)まらん
何ぞ強兵に止まらん
大儀を四海に布(し)かんのみ


もともと外国における当時の日本人の評価は低いうえ、熊本においては福井よりも小楠の知名度は低い気がします。しかし、近年では欧米、中国などで小楠の思想が注目され、小楠研究の気運が高まりを見せています。小楠のふるさとである熊本の私たちがどこよりも、小楠の思想や人物について深く、広く知り、伝えていく必要があるのではないかと思います。