ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.070 「 阿蘇の草原と人々の営み 」

講師/元熊本県畜産試験場阿蘇支場長  大滝 典雄 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「阿蘇の草原と人々の営み」です。


野焼きが終わった阿蘇には、可憐な野の花や野草が芽ぶきはじめ、春が顔を出し始めました。本格的な放牧も始まります。

このところ「阿蘇の草原が危ない」という話を耳にしますが、今回は、草原の権威者 大滝典雄先生をお迎えし、世界遺産にも匹敵する阿蘇の草原と人や畜産との関わりについて、お話して頂きます。

まもなく阿蘇の草原は、一年中で最も輝く季節を迎えます。先生のお話を聞いたら、いつもと違う阿蘇の素顔にふれたくなることでしょう。

九州のほぼ中央に位置する阿蘇は、太古の火山活動に起源をもつ広大な自然に抱かれ、豊かな歴史を伝えるところです。

春風にそよぐ野の花、夏の日差しに輝く緑の草木、秋風に揺れるすすきの穂、そして静寂な冬枯れの山野…。阿蘇の草原は四季折々に美しい情景を演出します。それは全国、いや世界に誇る自然美です

しかし、この自然美は時代を超えた人々の汗と涙の結晶で、厳しい環境の中で農業を維持するために続けられてきた、絶え間ない重労働の副産物なのです。


原野から占野へ


阿蘇の草原はもともと自然の原野でありました。黒い火山灰土が地表を覆い、原生林と背丈の高い雑草が繁殖していました。外輪山と阿蘇谷との高低差は約三百メートル。その急斜面にはミズナラ、ケヤキ、タブノキなどの樹木が、まるで人間の侵入を拒むかのように繁っていました。

奈良・平安の昔から、とくに神聖な地は別として、奥山や広大な原野は「公私利を共にする」といわれ、誰が利用しようと自由でした。人々はここで牛馬を放牧し、あるいは草を刈り、それを飼料として持ち帰っていました。しかし、土地私有の傾向が全国的に強くなってくると、この"自由の地"にもその余波が及んできます。時代が下がるにつれて原野に占有権が発生、これ以降、囲い込まれた原野は「占野」(しめの)とも呼ばれました。占野では「野守」(のもり)と称する監理人が置かれました。

占野管理の厳しさは、その所有の形態によって大きく差がありました。厳しく管理されていたものについては、「牧」と呼ばれて区別されていました。


苦労と悲しみに秘めた炎


轟々と燃える真っ赤な炎と凄まじい黒煙。阿蘇の野焼きは春の彼岸を中心に一斉に行われます。まさに"壮大な火の祭典"と呼ばれるにふさわしい、スケールの大きさと迫力です。毎年約一万四千人の観光客らが、この幻想的な光景に息をのみます。

野焼きの直後は黒々とした山肌があちこちにのぞかれます。しかし、暖かさが増すにつれ、それもやがて緑一色に染められ、黄色のキスミレやコバルト色のハルリンドウなどが咲きほころびます。穏やかで牧歌的な、阿蘇の草原です。

だが、この阿蘇の野焼きは、農家の人々が生命の危険を冒しながら従事している、大切な農業の営みなのです。


大切な防火線づくり


広大な草原を一気に焼き払う野焼きは、極めて危険な作業です。燃え盛る炎は高温なうえに高速です。もしも火に巻き込まれたら逃げる間もなく命を落とす可能性が高いのです。そこで大切になってくるのが、いかに安全に野焼きを行うかということです。牧野組合では実際に野焼きをする前に、まず防火線と呼ばれる無草地を確保し、周囲への延焼を防いできました。この防火線づくりこそが、野焼きを行なう上で最も重要で、つらい労働なのです。

防火線づくりは、野焼きをする前年の夏から秋に行なわれます。草原と森林などとの境にある草を幅六~十メートル刈り払いますが、阿蘇ではこれを「輪地(わち)切り」といいます。その数日後に枯れた草を焼いて防火線を完成させます。これを「輪地焼き」といいます。

まだ、暑い時期の、強い日差しのもとでの重労働。加えて、ほとんどの防火線が急斜面につくられるため、不安定な足場の悪さに作業は難航します。輪地切りには以前は大鎌、現在は刈払機が使われています。


長老たちの知恵


野焼きは今日でも、往時の原型を引き継ぎ"ムラ体制"のなかで行われています。それは、機械化が進んだ近代農業においても、この野焼きだけは数多くの人手を必要とし、常に細心の注意を払わなければならないからです。

"ムラ体制"の野焼きでは、リーダーを中心とした確固たる指揮命令系統が働きます。リーダーには通常、経験豊かな長老や牧野組合長が当たり、着火の際には風向きを正確に読み、その後も必要に応じて的確に指示を出すといいます。野焼きで火を付けることを「火をひく」といい、火付け役のことを「火ひき」と呼びます。この「火ひき」には風下から風上へ、火をコントロールする能力が求められます。野焼きに従事する全員がチームプレーに徹し、互いの連携をとりながら作業を進めなければいけないのです。


危機に瀕する千年の草原


阿蘇の大草原は、牛馬の放牧や野焼きなど農家の営みの中で生まれ、守られてきました。厳しい環境のなかで人々が絶えることなく続けてきた労働と暮らしが、世界に誇る美しい景観をつくりあげたのです。しかし今、阿蘇の草原は危機に瀕しています。千年以上もの間、高原の自然を形づくり、暮らしのなかに息づいてきた草原が、私達の前から消え去ろうとしているのです。

もし、このまま畜産の担い手が減り続け、野焼き面積が減少の一途をたどるようなら、阿蘇の美しい草原は間違いなく減少するでしょう。シバ中心の短草型草原は荒れた原野となり、やがて茫々とした山林に戻ります。色とりどりの野の花も見られなくなり、広大な草原風景も消えてしまうでしょう。貴重な観光資源を失った阿蘇は、農業ばかりでなく、さまざまな分野で衰退してしまう危険性があります。


歴史を守るために


草原の危機が叫ばれ始めて、これまで幾度となくシンポジウムや懇談会などが開かれ、地元農業や農業諸団体、行政、有識者、マスコミなどさまざまな分野の人々が参加し、草原が抱える問題点が指摘され、その解決策が模索されてきました。あか牛のブランド化を図って農家所得の向上、ボランティア導入による野焼きの継続、草原基金の設立、草原維持税の導入、そして草原の総合的な再開発など、画期的なアイデアも数多く提案されてきました。

しかし、そのように議論している間にも、阿蘇の草原は年毎に荒廃し、危機的状況を増大させ続けています。

草原が消滅することは、阿蘇の歴史の大転機であり、そこに住む人々の歴史に大きな穴があくことにほかなりません。

この阿蘇の草原は私達の力で守り続け、貴重な自然環境として次世代に残さなければならないというのがこれからの課題でしょう。