ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.065 「 横井小楠 」

講師/「横井小楠」著者(熊本日日新聞情報センター発行)
老人保険施設「孔子の里」施設長  山下 卓 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「横井小楠」です。


去る11月3日にTKUで、来年の生誕190年を記念して、ドキュメンタリードラマ・「未来を見つめた幕末の英傑「横井小楠」」が放送されました。今回はそれにちなんだ「横井小楠」のお話です。

幕末の政治家で思想家の横井小楠は、文化6年(1809)細川藩横井時直の次男として熊本市の内坪井に生まれます。彼は、私塾小楠堂を開き多数の門弟を育て、さらには幕政や藩政改革に参画し改革の先駆者となり、幕末の開明進取の骨組みを作りました。また、一貫して富民策を目指しており、開国貿易により志の実現を図り、勝海舟や坂本竜馬にも大きな影響を与えました。

今回は、横井小楠の思想に魅了され、6年もの歳月をかけて執筆され歴史小説風に仕上げられた「横井小楠」(熊本日日新聞情報センター発行)の著書で、医師でもある山下卓先生に、詳しくお話していただきました。その要旨をご紹介いたします。


横井小楠の思想


横井小楠についてはさまざまなエピソードがありますが、本当のところはとても一言では語り尽くせない、何とも得体の知れない人物であります。

彼は、徳川幕府の瓦解期から明治の新政府に移る過渡期において、改革の先駆者となり、開明進取の骨組みを作った政治家であり、思想家でもありました。

彼のことを肥後勤皇党の志士だと思っていましたが、そんな単純な男ではないようでした。勤皇とか佐幕とかを超越した、もしかしたらもっと高次元の政治思想の持ち主だったのではないでしょうか。

彼の魅力はたくさんありますが、まず第一に江戸時代の封建社会のさなかに、共和制が理想政治だと公言したところです。現代の我々から見ても、これほど斬新的な政治思想はないと思います。また、彼は富国策でも独特の考えをもっていました。

越前藩にいたころ、彼はいままでどこの藩でもやったことのないまったく新しい事業に取り組みました。というのは、貿易をすることによって得る利益は、当然藩のものだと考えるのが普通の考えでしたが、しかし、これを民の利益とし、民を富ませることを目的とした事業をしようとしていました。

富国とは藩の財政が豊かになることではなくて、領民を豊かにするのが先決である。領民が豊かになれば自ずと藩も豊かになるはずだということを、繰り返し繰り返し説いていました。新しい技術の導入や技術指導なども藩政府が一切負担し、利益は民という原則をつらぬく、藩の利益は外国貿易から得ればいい、とにかく民を富ませる事が先決という考えでした。小楠は、「利政」と「仁政」の違いを藩士全部にわかってもらいたかったのでした。この考えは、彼の「国是三論」(富国論、強兵論、士道論)の中の富国論に基づくものでした。


横井小楠という人物


横井小楠という人間の評価は、棺の蓋を閉めてもなお決まる事無く、もしかしたら彼が本当に理解されるようになったのは、死後百年以上もたってからではないでしょうか。

勝海舟は、「おれは今までに天下で恐ろしい者を二人見た。横井小楠と西郷隆盛だ。横井は自分で仕事をする人ではないが、横井の思想を西郷の手で行われたら幕府なんぞもはやこれまでと思ったよ。」

しかし、たいていの人は小楠をとりとめのないことを言う人だとしか思っていません。明治維新の初めに大久保利通ですら、「新政府に小楠を招いたが案外な人物だった」といいます。

海舟は、「小楠という人物は、とても尋常の物差しでは分かるめぇ」とも言いました。だから死後にそしられたり誉められたり、けなされたりするのは当然のことでした。しかし、それは小楠にとってはどうでもいいことであったでしょう。

生前に、盟友元田永孚に語っていたことは、「人と生まれては人々天に仕うる職分なり。身形はわれ一生の仮託、身形は変々生々してこの道は往古来今一致なり。故に天に仕うるよりの外、何ぞ利害禍福栄辱死生の欲に迷うことあらんや」と。

人は、天に仕えることばかりを考えておればいい。誉めたりけなしたりするのは他人のすることで、自分にはどうでもいいことだと、小楠はうそぶいているのです。しかし、小楠の生涯は志を得ない挫折の一生でありました。

小楠のその理想は富国とか強兵とかの次元ではなく、大義を四海に布くことでありました。戦争と貧困をなくした尭舜三代の理想社会を、現実の世界にそっくりそのまま実現することでありました。その手始めに越前藩を、次いで日本国を、さらにこれを世界へと広めていくことが、彼の理想でありましたが、ついに挫折してしまいました。

しかし、考えてみれば、一世紀後の現在の世界でも、小楠の理想社会とはずいぶんかけ離れています。言うなれば、人類は挫折の歴史を繰り返しているのかも知れません。