ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.061 「 清和文楽について 」

講師/清和文楽邑 支配人  兼瀬 哲治 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「清和文楽について」です。


約150年ほど前から伝承・保持されてきた「清和文楽人形芝居」は、昭和29年に保存会が結成され、芸術性の高い、ユニークな郷土芸能として全国にその名を知られるようになりました。また平成4年には、清和文楽の専用劇場である「清和文楽館」が建設され、日本の伝統技法を用いたその建築にも大きな関心が寄せられています。

今回は、清和文楽邑の兼瀬哲治支配人に、清和文楽の起源といまを主題にしてお話して頂き、あわせて清和文楽のスライド上映も行ないました。


清和文楽の起源


宮崎県と境を接し、九州中央山地の奥つき清和村は、緑川の上流に位置し、ちょうど九州の真ん中にあたります。昔から日向街道の要地であり、その地に清和文楽が生まれたのは嘉永年間のことと伝えられます。

今から140年程昔、君太夫という大変浄瑠璃の上手な名人がこの村にいました。ある日のこと、人形座が巡業でこの村を訪れた時、君太夫と数人の仲間達は、この人形座から人形の操り方を習い覚えました。それから、浄瑠璃と人形芝居を組み合わせたのが、清和文楽のはじまりとなり、豊作祈願の奉納芝居として伝承されてきました。芝居を見ながら酒を酌み交わし楽しみました。春秋の農繁期の真っ最中に、疲れた体を癒し、活力を蓄えました。


文楽の里の誕生


「栗と椎茸と文楽の里」と釘打って、清和村が文楽を地域興しの旗印に掲げたのは昭和54年のことです。

当時、減反政策が言われて久しく、出稼ぎや兼業化が進み、先行き農業だけでは不安が募った時期であったため、別の産業を興す必要がありました。

そんな時、清和文楽が熊本県から重要無形文化財に指定され、それを機に危機感と、眠っているものを掘り起こし、あるものを生かした知恵から文楽の里を村のキャッチフレーズにしました。

村の先達が残してきた文化を受け継ぎ、村を興していこうということになりました。昔は畑や庭先に筵を敷いての野舞台が行なわれていましたが、平成2年に文楽館の建築が着工されました。設計図をもとにあらゆる方面から様々なチェックやテストが行なわれました。そして、平成4年3月、ついに素晴らしい清和文楽館が誕生しました。舞台棟や展示棟に併せて物産館も建てられました。



熟年パワー


清和文楽を支えてきたのはご年配の方達でした。現在保存会のメンバーは18人。平均年齢は62歳。ほとんどが今も現役の農家の担い手として活躍されています。文楽の公演がある日は、農作業を早めに切り上げ軽トラックや自転車でやってこられます。そして公演が終わるとまた畑仕事に帰っていかれます。保存会の皆さんは、文楽はまさに生活の一部であり、人形を操ることが生きがいそのもので、病気などをする暇もありません。お客さんが多ければ多いほど熱が入り、お客さん相手に励まされ、黒頭巾の中で汗だくだくになって人形を操っておられます。

保存会では、60歳から後継者、80歳で定年、40歳~50歳は予備軍とされています。まさにお年寄りの知恵とパワーが清和文楽を支えているのです。


伝承芸能としての三業一体


清和文楽は、三味、語り(太夫)、人形の三業一体からなります。

弾き語り鶴澤友寿(倉岡寿典)さんは25歳、三味線は鶴澤友里江(山崎純子)さんは26歳。二人とも本場、淡路島で人間国宝の師匠に就き研鑽を重ねてきました。この二人が加わって、途絶えていた太夫が復活し、平成8年に、念願だった伝承芸能としての三業一体が復活し活気が蘇ってきました。

月2回の定期公演に、お客様があるか心配していましたが予想に反して大好評。年間10万人の人たちが訪れ、回を重ねるにつれて、経済的な波及効果もえられるようになりました。


地域特産品を使った"宝"探し


文楽鑑賞に清和村を訪れる人に好評の「お芝居弁当」や「農産加工品」。隣接の物産館では昔ながらの清和村のふるさと料理を食することができます。タケノコの煮しめやヤマメの甘露煮、手作りの味噌、漬物など、おばあさん達の秘蔵の味がお客さんに大好評です。また、村とJAがタイアップして、農産物加工に取り組み「文楽の里」の商標での販売が始まり、ご婦人たちが集まって加工所もできました。地元の山菜料理を基本にして、お互いが切磋琢磨して味を磨き、村の活性化におおいに貢献されています。

このように、村のお年寄りやおじさん、おばさん達が中心になって土地の文化を支えてきましたが、人形をつくる人や修理をする人など、若い力と熟練の力が一つになれば、もっともっと清和村は発展していくことでしょう。