ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.046 「 宮崎八郎とその時代 」

講師/くまもとの旅編集長  末吉 駿一 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「宮崎八郎とその時代」です。


宮崎八郎は荒尾に生まれ、若くしてルソーの「民約論」の影響を受けた、自由民権思想家として知られています。明治十年の西南の役では熊本協同隊を率いて薩軍につき参戦しますが、その渦中に八代で二十七歳の若さで壮絶な戦死を遂げました。今回は、くまもとの旅の編集長の末吉駿一氏が八郎の生涯とその時代背景について講演されました。その要旨をご紹介いたします。


神童と呼ばれ、藩校時習館へ入学


幕末から明治にかけて、若き自由民権思想家が激動の時代を駆け抜けて行きました。その人物こそ、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」でも描かれた宮崎八郎です。

嘉永四年(一八五一)宮崎政賢と佐喜の次男として誕生。長兄が早逝したため、八郎が事実上の長兄でした。

宮崎家は荒尾きっての地主にして郷士の家柄。土地の人々から「旦那様」と慕われ信望を集めていました。父親政賢は人間同士の差別はないと天性の自由を愛し、母佐喜は「畳の上に死すは男子の恥辱」と教えたように、八郎は両親の薫陶を受けて育ちます。

幼くして漢文に才を発揮し、神童と呼ばれた八郎は、十二歳で熊本城下の月田蒙斎塾に入門。師蒙斎の推薦によって慶応元年(一八六五)には、藩校時習館へ入学が認められました。郷士で入学できたのは異例のことです。


東京で遊学、西洋思想にふれる


明治三年には、藩から「洋学を学ぶように」との命を受けて東京へ遊学。水を得た魚のように東京で進取の気風を吸い込みます。

八郎は塙(はなわ)経太郎の国学塾、さらに英学を教える共立学舎を経て、西周(にしあまね)の育英社に入ります。ここで「万国公法」をはじめとする西洋近代思想の洗礼を受けるのです。東京から郷里の父へあてた手紙には、向島で花見をしたことや東京の芝居の面白さ、目薬を買ったことなど、近況が綴られていますが、八郎は自由のすばらしさ、そして人間は平等であるという思想を身につけてゆきました。

維新後、明治政府は廃藩置県、徴兵制、地租改正など士族の存在を根底から覆す政策を断行しました。西郷は士族の不満を外に向けるために征韓論を唱えますが、大久保利通らに破れて、下野。この時期、八郎は東京にあった出版社に勤めるなどして、己の思想を訴え続けています。


自由民権に燃え、植木学校を設立


明治七年、佐賀の乱が起こると、江藤新平を応援するために、八郎は急ぎ帰熊しますが乱はわずか一日で平定。八郎はそのエネルギーを外に向けるかのように、四月、台湾事変が起こると、五十名の義勇兵を率いて台湾へ出兵します。中国への渡航も企てますが、マラリアにかかり、ほうほうのていで帰熊。

荒尾の家でくすぶっているとき、弟の伴蔵が東京からルソーの「民約論」(中江兆民約)を持ち帰りました。その本を読み終えるや、八郎はルソーに傾倒して「これぞ自由民権のよりどころ」と叫んだといいます。ルソーの民約論つまり社会契約説は、フランス革命の理論的根拠となったものです。翌明治八年、八郎は広田尚らと植木に植木学校を設立。入学した城北の郷土、士族など約五十名にルソーの「民約論」や頼山陽の「日本外史」をテキストにして、自由民権思想を教えます。ところが、授業ばかりでなく、戸長の公選や県民会開設の集会を行うなど、過激な活動が県を刺激したため、当時の安岡良亮県令によってわずか開校半年で閉校させられてしまいました。


西南の役に参加し、壮絶な最期


明治九年に廃刀令に続いて断髪令が出ると、士族の不満は沸騰し、神風連の乱、福岡で秋月の乱、山口で萩の乱が次々に起こり、その総決算として明治十年に西南の役が勃発します。

八郎は西郷が自由民権論者でないことは見抜いていましたが、熊本協同隊の参謀長として薩軍方につき参戦。西郷に天下を取らせて、そして西郷と競って天下を取るとの思いがありました。しかし、薩軍は次第に追い詰められて行きます。

各地を転々した後、八郎は八代の萩原提で、薩軍指揮官の辺見十郎太の身代わりとなって官軍に鉄砲で討たれて戦死。八郎、二十七歳。懐にはルソーの「民約論」が抱かれていました。

八郎の恋人の浪子は、熊本市で八郎の死を知り、せめてその死に場所を自分の目でと球磨川河畔をさまよったといいます。

徳富蘇峰は八郎を「天成のジャーリストであり、熊本における民権論の唯一と云わなければ第一の急先鋒」と絶賛。その生きざまは弟の民蔵、弥蔵、滔天らに大いなる影響を与えたばかりでなく、現代に生きる私たちにも多くのことを示唆してくれます。