ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.045 「 鬼官兵衛 」

講師/鬼官兵衛記念館館長  興梠 二雄 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「鬼官兵衛」です。


西南の役の際に、薩軍から「鬼官兵衛」の名で恐れられた官軍の佐川官兵衛は、阿蘇で壮絶な戦死を遂げました。阿蘇の白水村には、官兵衛を偲ぶ記念碑が建ち、彼の遺徳は、今も村人に語り継がれています。今回は、佐川官兵衛の生涯について興梠二雄先生に語っていただきました。その要旨をご紹介いたします。


薩長の志士を震えあがらせた男


佐川官兵衛の幼名は勝(すぐれ)。天保二年(一八三一)、会津藩二十三万石の城下町に生まれました。父は幸右衛門直道、母は俊子。佐川は代々家禄三百石を受けた、部門名誉の家柄でした。

幕末の混乱期、京都守護職を引き受けた藩主松平容保(かたもり)に従って、官兵衛は、鳥羽・伏見の開戦後、京都、大阪、越後口、会津と転戦しました。伏見街道で薩長勢を迎え撃った時、その壮絶な抜刀切込みと、血まみれた阿修羅のごとき形相から「鬼官兵衛」と呼ばれるようになり、薩長の志士を震え上がらせたといいます。

鳥羽伏見の戦いに破れ、ついに会津藩も降伏。官兵衛は会津藩氏とともに、下北半島へ追放され、謹慎生活を送ります。


明治政府の警察官として


江戸幕府が倒れ、明治維新となり、廃藩置県が行われると、会津藩に帰郷。その後、官兵衛は、藩士と三百人をつれて、東京の警視局に奉職。一等大警部の職を得ますが、大藩の家老としては低い待遇で、藩士たちは怒りますが、官兵衛はこれをなだめ、月給五十円のうちから一部を藩主に送るなど忠臣ぶりをみせました。明治十年(一八七七)の西南の役が起きた時、麹町の警察署長をしていた官兵衛は、西南の役に参戦するよう政府から命ぜられます。当時の官軍は、農民を中心に組織されており、基盤が弱かったため、士族の警察隊が必要だったのです。


「さすが官軍」と村人に慕われて


檜垣直枝を指揮長に、官兵衛を副指揮長とした警視隊は、東京から船で小倉に上陸し、大分~久住~竹田を経て、阿蘇へ入りました。薩軍に対しては、戊辰戦争の時の恨みに燃えていたはずです。

「薩軍が北外輪山の一角、二重の峠で陣を構えている」と聞いた彼は、即座に攻撃をかけようとしましたが、上司の檜垣軽視が無謀な軽挙だとして、許可しません。

三月十四日、官兵衛は阿蘇の現白水村に進み、蛭子(えびす)屋という商家に陣を構え、はやる心を押さえながら、阿蘇南郷谷の有志を集め、南郷有志隊を組織させました。

南郷有志隊も蛭子屋のはす向かいの屋に拠を構えていたので、官兵衛はそこへ出向き、南郷有志隊長の長野一誠とたびたび軍議を交わしました。その座敷は、今も残っています。

地元の人々は、官軍も略奪を働くのではないかと恐れましたが、官兵衛は不正の行為がないよう巡査を戒め、物資を買うための資金も充分に渡してあったので、不祥事は起きませんでした。村人達は官兵衛のことを親しみをこめて込めて「鬼さま」と呼んだといいます。


二重の峠に向かう途中、無念の最期


やっと、攻撃の許可がおりた三月十七日、時すでに遅く、薩軍は二重の峠の兵力を増強し、戦機を逸していたものの、彼は会津藩の維持と面目をかけて決死の覚悟で出発しました。

出発の朝、官兵衛は真新しい肌着に身を包み、明神ヶ池の水を飲み、辞世の句を読みました。

 君が為都の空を打ちいでて

     阿蘇山麓に身は露となる


出発に際して、長門屋の五才の子の頭をなでながら、「敵の首をみやげに持って帰るよ」といって、地元の竹原新八氏の道案内で二重の峠へ出かけて行ったのです。

官兵衛の一行が、現在の長陽村黒川(湯の谷温泉昇り口付近の窪道)にさしかかった時、有志隊員が薩軍の呼子の縄を踏んでしまい、薩軍との最後の戦いがはじまります。

戦闘のさ中、薩軍一揆勢の小隊長、鎌田雄一郎が官兵衛に対して、一騎討ちを挑んできました。会津藩随一の使い手であった佐川の剣はするどく、鎌田危うしとみた薩軍の長野さばく は、卑怯にも鉄砲で官兵衛を狙い討ちし、ここに官兵衛は非業の最期を遂げたのです。享年四十五才。強い意志を持ちながらも歴史のうねりに翻弄された短い生涯でした。

白水村では官兵衛の遺徳が代々語り継がれ、明神ヶ池の周辺には佐川官兵衛の記念碑が四カ所も建てられました。阿蘇郡内にも官兵衛の慰霊碑が十数カ所も建っており、阿蘇の人々がどれほど官兵衛に尊敬の念を抱いていたかが分かります。

白水村には全国名水百選に選ばれた白川水源や、官兵衛も顔を洗った明神ヶ池水源、寺坂水源など七つの有名な水源があり、オオルリシジミの棲息地としても知られています。白水温泉「瑠璃(るり)」の近くには、現在地ビール工場も建設中です。佐川官兵衛ゆかりの白水村へぜひお越しください。