ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.044 「 西南の役あれこれ 」

講師/植木町郷土史家  中村 稲男 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「西南の役あれこれ」です。


西南の役は、日本が近代国家建設の過程で避けて通ることのできなかった鬩牆(げきしょう)の悲劇でした。九州四県下で戦闘が行われ、最も激戦となったのは植木町の田原坂でした。1日両軍合わせて三二万発もの弾丸が飛び交い、弾と弾が空中でぶつかりあうほどの激しい戦いでした。今回は、西南の役で不明だった戦没者を調査された郷土史家の中村稲男先生にお話を伺いました。その要旨をご紹介します。


天下分け目の田原坂


明治十年(一八七七)の西南の役で、最も激戦となったのは田原坂の戦いです。当時、田原坂は、高瀬(玉名)から熊本へ大砲を運ぶ唯一のルートにあり、熊本城を目指す官軍の小倉連隊と、薩軍が三月四日から十七昼夜も死闘を繰り広げました。

官軍の総攻撃により、田原坂が墜ちたのは三月二十日。以後も薩軍の敗走は続き、九月に西郷隆盛が鹿児島で自決して二二〇日にも及ぶ戦いは終結しました。

田原坂には、官軍であれ薩軍であれ、国家の将来を憂いて、血を流した志士たちの魂が眠っています。


鎮魂のために戦没者の調査を


昭和三二年に田原坂は公園として整備され、資料館を建設。戦死者一三,〇八二人を悼み、慰霊塔が建立されました。この慰霊塔には官軍二,一六九名、薩軍六,〇五四名しか刻名されておらず当初から疑問がありました。

名前がわからない志士たちの魂を鎮めるために、何とか氏名を明らかにしたい。私たちの先祖は、どんな目にあったのか、埋葬はどのようにされたのか。そんな思いから、わたしの調査が始まりました。

西南の役の資料、中でも薩軍関係の多くは焼却されており、なかなか入手できませんでしたが、こつこつと調べ歩きました。川尻の延寿寺は、八五三名の薩軍戦死者が収容埋葬されており、昭和七年発行の「薩軍戦死者名簿」があり、これが貴重な資料となりました。明治十年の報知新聞に川尻の大慈禅寺に戦基が建てられたとの記事を見つけ、大慈禅寺を訪ねてみましたが、確認はできませんでした。川尻に官軍が進撃した時、壊されたのかもしれません。

その後も植木町をはじめ県内各地に西南の役の戦没者の墓を訪ね歩き、久留米、長崎の墓地にも出かけました。鹿児島県の県立図書館でも資料を探したり、熊本県立図書館にも通いつめました。

資料には虫食いがあったり、判読が難しいものもありました。名簿を五十音順に並べ、慰霊塔の刻名と比べながら、不足分の氏名を割り出す作業を続けました。月日ごとの戦死者を集計することで、激戦の日が分かり、戦闘の流れも分かりました。

官軍の戦没者名簿は、植木町在住の郷土史家の勇知之氏が調査されました。自衛隊が発行している「靖国神社忠魂史」の中に西南の役の官軍戦没者が六,九二三名も記名されており、これが貴重な資料になりました。


慰霊塔に刻名し、除幕式が


私どもの調査の成果として、平成二年に植木町から「西南の役戦没者名簿」が発行されました。

さらに、今までの記名分を含めて慰霊塔の改修工事を行ない、不明だった氏名を刻名した慰霊塔が一,五八四万円を投じて平成八年に完成。三月二十日の西南の役追悼式で、除幕式が行なわれました。靖国神社では官軍のみ、鹿児島では薩軍だけしか祀られていません。官軍・薩軍ともに記名した慰霊塔は、全国でも、ここ田原坂公園だけです。

併せて、官軍四,四五四人、薩軍一,一三四人、計五,五八八人、さらに地元の殉難者二九人を追記して五十音順で、官軍は県別に、薩軍は郷ごとにまとめた名簿を刊行しました。しかしながら、名前の重複や欠落もあり、完全なものとは言えません。

これからの観光は、単にものを見るのではなく、異なった地域の風物や文化に触れることです。新たな気持ちで、田原坂を訪ねられ、

 一、犠牲者への鎮魂、

 二、今日の平和社会への感謝、

 三、平和への誓い

を新たにしていただきたいと思っています。


会場から、ご感想を伺いました。


・植木町商工観光課

      原田 寿夫 課長

今年は、西南の役一二〇周年にあたり、五月十日に記念式典を開催します。植木町では、今後も田原坂を西南の役の象徴として顕彰してまいります。どうぞ、田原坂公園のある植木町にお越しください。

・下益城郡小川町

      北口 澄子 さん

私の家には、西南戦争のことを曽祖父が記した巻物があります。薩軍が雪の三太郎峠を越えて北上する様子が描かれており、我が家の家宝として大切に保存しています。