ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.036 「 五足の靴 」

講師/元天草町教育長 キリシタン文化研究会員  濱名 志松 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「五足の靴」です。


「五足の靴」とは明治四十年、与謝野寛を中心に五人の若き詩人たちが九州を訪ねたときの紀行文の題名です。五人は福岡や長崎、阿蘇などを回りましたが、最も感銘を受けたのは、パアテル(神父)さんがいた天草の大江でした。今回は「五足の靴」について天草を中心に濱名志松先生に語って頂きました。その要旨をご紹介いたします。


五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た


明治四十年の夏、与謝野寛を中心に新詩社の同人五人で九州を旅しましたが、この旅から、紀行文「五足の靴」が生まれたのです。

『五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。五個の人間は皆ふはふはとして落ち着かぬ仲間だ。彼等は面の皮も厚く無く、大胆でも無い。而も彼らをして少しく重味あり大量あるが如く見せしむるものは、その厚皮な、形の大きい五足の靴の御陰だ。』

その一行は、三五歳の与謝野寛を筆頭に、木下杢太郎(東大医科一年・二三歳)、北原白秋(早稲田大学文科一年・二三歳)、平野万里(東大工科・二三歳)、吉井勇(早稲田大学文科一年・二ニ歳)という学生たち。当時は、九月が新学期でしたから、四人は大学の一年を終了した直後でした。

新詩社では毎年、旅行を企画。白秋が柳川の出身ということもあって、その年は当初の計画であった北海道から九州に変更されました。さらに白秋によってプランが練られ、平戸、長崎、島原、天草に中心が絞られ、結果として天草が旅の焦点となりました。文学を志した若き詩人たちは、キリシタンの歴史に彩られた天草に限り無い情景を感じていたのです。

その行程は、東京~下関~福岡~柳川~佐世保~平戸~長崎~茂木~天草~三角~島原~長洲~熊本~阿蘇~熊本~柳川~東京でした。五人の旅は七月二八日から八月二七日まで約二六日間にも及びました。学校の校長の月給が十数円の時代に、五十円もの旅費(実際に使ったのは三五円)を持って出かけた豪勢な旅でした。

五人が交互に執筆した紀行文が「五足の靴」として東京二六新聞に掲載されたのです。


パアテルさんは何処にいる


「五足の靴」のクライマックスは、茂木から富岡に上陸した後、大江の教会にガルニエ神父を訪ねるくだりでしょう。夏の炎天下のもと富岡から大江まで約三八km、整備されていない道なき道を彼らはどた靴で歩き続けました。

『昨日の疲労(つかれ)で、今朝は飽くまで寝て、それから此地の天主教会を訪ねに出懸けた。所謂「御堂」はやや小高い所に在って、土地の人が親しげに「パアテルさん、パアテルさん」と呼ぶ敬虔な仏蘭西(ふらんす)の宣教師が唯一人、飯炊男の「茂助(もおすけ)」と共に棲んでいるのである。』

「五足の靴」の本文には、そんな風に書かれています。ガルニエ神父は、パリの神学校で学んだ後、明治二五年に来日、長崎の伊王島、五島を経て大江に赴任しました。自分の私財を投げうって教会を建て、信仰と布教のために生涯を捧げました。宣教師としてだけでなく、村人の教育、医療、人生相談にも応じていたようです。

「パアテルさんは何処にいる」と訪ね歩いて、やっと五人が教会に着くと神父は飯炊きの茂助に「なあにもないから、井戸水を汲んでけぇ」と命じました。冷たい井戸水に喉を潤した後、神父は天草のキリシタンの受難の歴史を語りました。フランスでの恵まれた地位を捨て、異国の辺境の地でランプの暮らしを続ける神父の生き方は、感性の研ぎ澄まされた若き詩人たちの心を揺さぶりました。

白秋を詩人として決定的にした明治四二年刊の「邪宗門」は、この旅の結晶でした。吉井勇は「酒ほがひ」を、木下杢太郎はキリシタン研究をライフワークとして続けるようになります。与謝野寛、平野万里の作品のなかにも旅の影響をみることができます。

「五足の靴」は、日本の耽美派文学の先駆けをなしました。日本の保守的な風土を打ち破り、ヨーロッパ文学を日本に受け入れる素地を造ったのです。


文化としての観光を


昭和一四年の暮れ、武昌(中国)の野戦病院で私は生死の境をさまよっていました。それが少しずつ快癒してきた時、従軍看護婦さんが買ってきてくれた白秋の「明治・大正・詩史概観」の本に「五足の靴」の旅のことが記されていたのです。中国から帰還した後、教職につくかたわら、「五足の靴」のことを調べ、研究を続け、戦後間もない頃、吉井勇氏の歌碑建立にも奔走しました。

白秋とともに泊まりし天草の

       大江の宿は 伴天連の宿

大江天主堂のガルニエ神父の胸像前にあるこの歌碑は、多くの人々の浄財によって建てられたものです。

「五足の靴」は一般にはあまり知られていませんでしたが、野田宇太郎が発掘して本に紹介してから注目されるようになりました。

ところで、これからの観光は文化でなくてはならないと私は思っています。天草町では、「五足の靴」を記念した短歌大会を開くなど、新しい文化の掘りおこしも行っています。天草町には大江教会、キリシタンの遺品を集めたロザリオ館、下田温泉など魅力がいっぱいです。

ぜひ、「五足の靴」ゆかりの天草町にお越しください。