ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.035 「 神風連の変百二十年 」

講師/神風連資料館館長  太田黒 靖國 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「神風連の変百二十年」です。


西南戦争の前年に起きた神風連の変は、あまり知られていませんが、明治政府の欧化政策に憤った士族の戦いです。なぜ神風連の変は起きたのか、その思想はどんなものだったのかについて、肥後勤皇党の歴史とその時代的背景を織り混ぜながら、太田黒靖國先生に御講話いただきました。その要旨を御紹介いたします。


肥後勤皇党の系譜


神風連の変とは、明治九年(一八七六)に新開大神宮宮司の太田黒伴雄を首領とする神風連の志士が挙兵し、熊本鎮台を襲撃した事件です。

彼らは神道を重んじ尊皇を信条として自ら敬神党と名乗っていましたが、一般に神風連と呼ばれていました。

神風連の変は、その事件だけを見ても意味がありません。神風連について語るには、まず肥後勤皇党の歴史を知る必要があります。

幕末の熊本には、林桜園という思想家がいました。桜園の師が永瀬真幸であり、永瀬真幸の師が、肥後勤皇党の祖・高本紫溟です。

紫溟は、幼少から学問を愛し、阿蘇山中にこもって、漢学のほか阿蘇家に伝わる古文書を耽読したといいます。後に肥後の藩校・時習館の教授を務め、儒学ばかりでなく、国学を時習館の教科に加えました。

紫溟は、本居宣長とも親交があり、弟子の真幸から国学を学びました。そのほかにも、神道、儒学、仏教、天文、地理、歴史、蘭学にも通じ、「一度目を経れば、いまだかって忘れず」というほどの博学ぶりでした。

桜園は、千葉城高屋敷に原道館という私塾をつくり、多くの若者を育てましたが、弟子の数は千七百人とか二千人といわれています。桜園の思想は宮部鼎蔵を中心とする勤皇党と、太田黒伴雄らの敬神党(神風連)に受け継がれていきました。


国を憂いた神風連の志士たち


楼園は、「神事は本なり、人事は末なり」といって、神道をふみ行うことを信条としていました。この世に起こる事は、すべての神の作用によるものであり、誠心をつくして祈り、心力を時事につくせば、神様は必ず感応してくださる。生死は人界にしかなく、神界にはない。道を治めるものは昇天を尊ぶということを『昇天秘話』に書いています。

この思想が太田黒伴雄をはじめとする神風連の志士たちの精神的な支柱となりました。長い封建時代が終わり、王政復古が行われ、天皇制の時代が訪れました。神風連の志士たちには日本古来の神道に基づいた政治が行われるという期待がありました。

ところが、政府は欧化政策を進め、法律も制度も外国をまねて次々に変わっていきました。攘夷を口にしていた政府の高官は外国に迎合し、尊皇攘夷論者を押さえるために各地に鎮台を設置。忠義も孝行もすたれてゆく風潮を、神風連の人々は憂慮したのです。


宇気比とは何か


新風連の変は、宇気比(うけい)の戦いといわれています。作家の三島由紀夫が、『奔馬』を書くために、神風連の取材で熊本を訪れたとき、私の所にも来て宇気比のことを聞いて帰りました。

宇気比とは神慮を伺う秘法で、『古事記』にも天の岩戸の前章に宇気比の神話があるほどです。宇気比には三つの作法があります。

一つは、審神者(神主・祈祷師)を以て神命を問うこと。二つめは、〆事(みそぎ・祓い)を以て神の心を問う。三つめは、夢見て神の訓を請う(願をかける、ひたすら祈ること)。神風連の人々がどんな方法を行ったのかは、定かではありません。

明治七年に新開大神宮(現熊本市内田町)で一度宇気比が行われましたが、直接行動は許されませんでした。明治八年も同じ。しかし、明治九年になって廃刀令が出され、断髪令も出されました。この後、行われた宇気比で、初めて念願の宇気比の許しが出ました。

それを受けて、明治九年十月二三日の深更、太田黒伴雄を首領とする一七〇人の志士たちが決起したのです。古来の刀槍の武器をもって、近代火砲を装備した熊本鎮台に攻め込んでいきました。彼らは、勝敗を論じる戦略はなく、国体護持のために、むしろいかに死んでいくかを考えていたようです。信仰に殉じ、主義に殉じ、日本の危機に殉じていた神風連の人々。私たちは、神風連の変そのものよりも彼らの心情を汲み取るべきでしょう。

討死した志士二七名。自刃した志士八八名と多くの志士たちは倒れてゆきました。志士たちの霊は、熊本市黒髪の桜山神社で眠っています。その隣の神風連資料館には、資料や遺品が展示され、神風連の精神を今に伝えています。

ところで、今の社会を見てみると、余りにも物質文明にどっぷり浸かって、心のあり方がおろそかにされているようです。目先の利益、自分さえよければ社会がどうなろうと少しも頓着しない。私は、今の日本の現状に危機感を感じています。日本古来の伝統の思想について、もう一度考え直す必要があると思います。