ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.032_2 「 世の中のことを語りあおう 」 5周年記念講演

講師/熊本県立劇場館長  鈴木 健二 氏

熊本駅ハイマートサロン・ユーリカが開校して、今年で五周年を迎えます。現在一四名の講師の方に二百人近い生徒さんが熱心に勉強されています。

鈴木健二先生は、昭和六三年に熊本県立劇場館長に就任されて以来、熊本の伝承芸能など、熊本の文化の掘り起こしに全力を捧げていらっしゃることはご存知のとおりです。そして、ユーリカの名誉顧問にもなって頂いています。

ユーリカの五周年を記念して、去る平成八年二月二十四日、熊本駅会議室で鈴木健二先生の講演会が開かれました。

今回は「世の中のことを語りあおう」ということで、出席者からの質問を基に、環境問題や教育のこと、そして私たちの心のあり方について、語っていただきました。その要旨をご紹介します。


二十一世紀は、観光の時代。駅を中心に旅人が心やすらげるふるさとを守ろう。


駅から文化を発信するということで、ユーリカは始まった。今後、いっそう駅の役割は重要になるだろう。一九七二年に、シベリアに行ったとき、駅に赤ちゃんを寝かせるベッドはもちろん、医師と三人の看護婦が常勤し、図書館も備えてあって感銘した。

たとえば、日本でも駅の職員が人工呼吸を知っていれば、私たちは安心して駅を利用できるだろう。踏み切りの事故防止だけでなく、今を生きる人々が安心して暮らせるためのバックアップ体制も必要だろう。

女性は、環境の変化や老いを迎えても比較的順応できるが、やっかいなのが男性。男はサッパリ変わらない。男性が意識を変えなければならない。

高齢社会を生きるには、誰かに人工呼吸をしてもらうのではなく、まず自分でやり方をマスターしようという姿勢が大切だ。誰かの役にたてるということが、生きがいにもつながる。

今、地球環境への関心がとても高くなっている。いじめなどの教育問題も深刻だ。住専に代表されるような政治不信も続いており、高齢化社会を前にして、老いを取り巻く福祉についても急速な体制作りが望まれる慌しい世の中である。

その一方、二十一世紀は、観光の時代だと言われている。一九六〇年には二六〇〇万人だった世界の観光客が一九九〇年には四三〇〇万人、二〇〇〇年には恐らく九億人になるだろうと予測される。しかも、一九八八年を例にとると、世界の軍事費一兆ドルに対して、二兆ドルものお金が観光に使われているのだ。

観光がさかんになるためには、平和でなければならない。ことに女性は安全なところしか行かない。ところが、観光への欲求の高まりに対して、二十一世紀は、環境が極めて悪化してくる。

昔は、川で遊んだけれども、今は河川工事が進んで、川で遊べるような状態ではない。食物連鎖や生態系を無視して、護岸ばかりか川床までコンクリートで固める愚行は、もうやめるべきだ。よく川に鯉が放流されるが、鯉がいると他の魚が棲めなくなることも知っておく必要があるだろう。

減反政策で、多くの田んぼが休耕田になっているのも考えものだ。田は、深さ三〇センチもの水を蓄えるダムの役割があり、洪水を防ぐためにも必要なものだ。農業はただ食糧を生産するだけでなく、国土の保全など環境を守るためにも欠かせない。今後の食糧危機を考えるとき、農業は花形産業となるかもしれない。

環境問題を解決するには、もはや草の根運動しかないと言われている。奥さんたちが、洗剤を川に流さないとか、空き缶をリサイクルするとか、一週間使っていた車を週に五日使うとか、市民が自己規制していかないことにはどうにもならない。

日本は、外国から七億一〇〇〇万トンもの原料を輸入しているが、輸出しているのはわずか一割の七〇〇〇万トン。やがて、わが国土は、るいるいたる産業廃棄物で埋めつくされてしまうだろう。廃棄物が山積みされてから、処分場を探しているのが日本の現状だ。

ところが、ドイツでは製品を作る時点ですでにリサイクルのことまで考えている。リサイクルが可能なものしか製造を許可しない。エコノミーという言葉には、基本的に循環という意味もあり、日本とは根本的に考え方が違う。

モノには命があり、可能な限り大切に使おうという思想が日本には欠如している。資源を浪費しても金をもうければよいという日本のやり方が、日本叩きの真の原因であることを思い知る必要がある。


伝承芸能のある地区では非行が少ない。地域の人々が子供を育てる・・・・・。


教育面では、どうだろうか。プロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、子供たちにスキーを教えるとき、一年間は絶対スキーを教えない。ひたすら雪の中を歩かせ、雪に親しませる。スキーの技術を教えるのは、しっかりとしたベースができてからである。

以前、元オリンピック選手の水泳教室を見に行ったとき、練習中にプールの暖房が切れてしまった。すると、日本人のおかあさんは子供にすぐ服を着せに行く。ところが、外国のおかあさんは何もしない。私はなぜ服を着せないのか聞いてみた。

「子供たちは、いつも暖房のきいたプールで泳ぐとは限らない。将来北の海で船が遭難したとき、冷たい海で泳ぐかもしれない。だから、冷たいプールで泳ぐことは貴重な体験です」

こんな考え方がどうして日本にはないのだろうか。

日本のおかあさんは、ひたすら過保護。あれもダメ、これもダメ。あの子と遊んじゃダメ。自分の友達を親から選別されることが、子供には一番つらい。こんなことがいじめの温床になっているのではないか。

いじめで問題なのは、いじめられた子供が自殺してしまうことだ。自殺は人間が選択する最もおろかな結論である。どんなに苦しくても、人は可能な限り生きなくてはならない。

学校も家庭も一つの点であり、それをつなぐのが地域である。地域によって子供は育てられる。伝承芸能のある所では、非行は起こらない。また、子ども会の活動のある所も、いじめや非行が少ない。神楽や文楽など子供の頃から地域の人々と一緒に稽古に励むことは、芸能の面ばかりでなく、人間形成においても欠かせないことなのだ。

ギリシャの哲学者ソクラテスは、よりよく生きるために、人間は何事についても知りたい欲求を持ち、行動する勇気と、欲望をコントロールすることが大切だと説いた。

今の日本人は、欲求をコントロールできないから、心を一つにして人と手をつなぐことができない。喜びも悲しみも分かち合うことができない。

子供が欲望をコントロールできなくなるのは、小さい頃からお金や物を与え過ぎるからだ。お金は、働いた結果いただくものという意識が欠落している。

昨年、マスコミで取り上げられた従軍慰安婦の問題も慰安婦の苦しみを受け止めるだけでなく、苦しみを分かち合うという姿勢が求められたのではないか。

たとえば、知人がガンの告知を受けたとき、私たちは知人の悲しみを自分のものにすることができるだろうか。

私たちはより高いものを求めて、よりよく生きるためにどうしたらいいのだろうか。それは私たちの心のあり方にかかっているのである。


JR九州 杉原熊本支社長の感謝のことば


駅から文化を発信するというのが、ユーリカのコンセプトです。駅は、列車を利用する人のためばかりでなく、地域の人々のコミュニケーションの場でもあります。

環境問題や教育のことを例にとりながら、私たちの心のあり方について、鈴木先生から指導していただきました。私たちは、日々仕事や生活、子育てに追われていますが、時には、こんなお話を聞いて考える必要があるかと思います。

鈴木先生が21世紀は観光の時代といわれましたが、JR九州は地元のみなさまに親しまれるようつとめてまいります。