ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.010 「 球磨の精神文化 」

講師/郷土史家  渋谷 敦 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」。熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「球磨の精神文化」です。


福岡から2時間の桃源郷、球磨・人吉。球磨川の急流を軸に、深い山や谷間が広がります。この隔絶された自然と八世紀にも及ぶ相良家の統治によって、独自の文化圏が築きあげられました。中でも相良家のもたらした鎌倉仏教文化は、人々の暮らしや心に大きな影響を及ぼしています。

今回は、それらの文化が生みだした、球磨の気質や精神文化についてご講話頂きました。その要旨をご紹介します。


〝自然の要塞〟が守った球磨文化


山また山の球磨盆地。町を貫く球磨川は日本三大急流のひとつで、明治43年に肥薩線が開通するまでは、まさに〝かくれ里〟の名にふさわしい山峡の地であった。今も五家荘をはじめとする手つかずの自然が、あちこちに残っている。この「自然の要塞」が功を成したのか、ここにはくまもととは違う独自の文化が創られ、残されている。

起源は古代南九州に隆盛を誇った熊襲文化にさかのぼる。その勢いを恐れた大和朝廷は、幾度となく兵を送り、平定がくり返された。六世紀頃にはすでに撲滅の危機にあったと伝えられるが、その文化の特異ぶりは、うたに詠まれ万葉集に残っている。

肥人額髪結在染木綿(こまひとのぬかがみゆへるしめゆふの)

染心我忘哉(しみにしこころわれわすれや)

 肥人(こまひと)=球磨人(くまひと)が草木染めの麻で髪を結われていた珍しい姿が、心に染みついて離れないように、あなたのことがどうしても忘れられない。

その後、五家荘の平家落人文化、相良文化などが次々と生まれた。人々はそれらの文化や歴史を誇りに思い、心のよりどころとしている。熊襲の復権をめざして町を興し、平家のきじ馬を西日本一の玩具という。

さらに、独自の文化からは、独自の精神文化が生まれた。


仏教文化が生んだ球磨人気質


人吉・球磨の気質を称してこう呼ぶ。「人吉・仲よし・こころ良し」。おだやかで大らかであたたかな気性。

このやさしい精神文化は、相良家による鎌倉仏教文化から生まれた。

相良家の統治は建久四年(一一九三)、源頼朝の命をうけて着任して以来、三十七代、八 世紀に及ぶ。彼らは、この草深い山里に、京直入の鎌倉仏教文化をもたらした。城泉寺、青蓮寺、願成寺、高寺院などがその代表である。平安藤原文化の香を宿し、桃山芸術をも温存する。九州でも独特の仏教文化圏を形成し、〝祈りの里〟の風土として今日その姿を昔のままにとどめている。ぼってりとした茅ぶきの古寺には、ふくよかな仏さまや阿弥陀さまが眠り、武骨でユーモラスな仁王さんが空をにらむ。そして、村の人や子供達はそこに集まってくる。青蓮寺の本堂の床には、小さな穴がおびただしくあいているが、それは子供たちがコマを打って遊んだ跡だ。

雨が降ると、子供たちが本堂に集まってくる。背中に妹をくくりつけて、小さな弟の手を引いたりして。仏さまに囲まれて薄暗い本堂は、完全に安全な遊戯場だ。親たちは託児所に子供を預けるように、仏さまに子供を託し仕事に精を出した。

こうしてお寺は人々の暮らしに溶けこみ、独特の精神文化を形づくっていった。


新説「五木の子守歌」


 〝おどまかんじん かんじん

   あんしとたちゃ よかし

   よかしゃ よか帯 よかきもん〟

奉行先の辛さをうたい、我身の不幸を他人とひき比べて嘆いたといわれている「五木の子守歌」も、本当は違う解釈と思う。

私の衣は粗末で、あの人たちの着物はキレイだけれど、みんな同じ仏さまからの授かりもの。

何もかもがありがたい。

球磨・人吉は、江戸時代、真宗(一向宗)禁制の地であった。彼らは、その熱い信仰心を五木の子守唄の中に秘かに封じこめたのだろうか。また、父母から伝えられた祈りの声が、少女の口をたどって、子守歌という形に現れたのかもしれない。

司馬遼太郎の「街道をゆく」には、人吉・球磨がこう描かれている。「日本でいちばんゆたかなかくれ里」この桃源郷を築きあげたのは、彼らの精神文化であった。ゆたかなのは物質ではなく、心の文化であった。

人吉・球磨にはたくさんの名所名物がある。球磨川の急流を軸にくま川鉄道が走る。町にはやわらかな温泉がわき、焼酎工場の赤い煙突から陽気と香がたちのぼる。

しかし、いちばんの名産は人々の心の中にある。あたたかな人情と信仰は、毎日営みの中にひそかに、うけつがれ、目に見えない文化を形づくってゆく。


青蓮寺こぼれ話


青蓮寺の和尚さんは一風変わった人柄で知られる。

ある日、仏教文化の研究で著名な、ひとりの大学教授が訪ねてきた。

「仏さんを見せて下さらんか。」

丁寧な物腰だが、和尚は噴然として「帰れッ帰れッ!!」

教授は頭をひねりながら帰ったが、一晩考えてまたやって来た。

「昨日は失礼しました。今日は、仏さんを・・・・拝ませて下さらんか。」

和尚は顔いっぱいに笑をうかべて、「昨日からお待ちしておりました。」

球磨の人たちの厚い信仰心を浮きぼりにする、ほほえましいエピソードである。