ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.006 「 八代 」

講師/「知性と感性」主宰・詩人  上田 幸法 氏

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。


今月のテーマは、「八代」です。


八代には3つの貴重な文化、「八代神社」「懐良親王」「彦一話」があり、今も人々のくらしの中に深く根づき、愛されつづけています。今回はその由来や伝承などに触れながら、ご講話頂きました。題して「八代歴史漫遊」とでもいうところです。その要旨をご紹介します。


「八代神社」――中国渡来の賑やかな祭り、妙見祭の祭祀の場


八代には「妙見さん」との愛称で親しまれる「八代神社」がある。妙見さんの発祥である妙見信仰は中世に中国から伝えられたと言う。その祭神を祀る「妙見祭」は、今も10数万人の顧客があつまり、九州三大祭に数えられている。

11月23日(今までは18日)に八代神社で行われる、エキゾチックな祭り――妙見祭。ドラやチャルメラ、ラッパなど、中国情緒あふれる行列が町を練り歩くが、中でも巨大な・・亀蛇(ガメ)は壮観である。亀と蛇が一体になり、陰陽を示すもので、妙見さんが中国から来るときに乗っていたと言われている。

この巨大な「造り物」は、八代の出町の新興商人たちの、「権力に対するレジスタンス」と言われている。

八代城は城下町を全て郭で囲んだ全国でも珍しい城である。その郭の外にある出町は、職人や下級武士の住む、お上に対する反抗のエネルギーが渦巻く町であった。そこに城下町からはみだした新興商人たちが流れこんできたのである。彼らは町屋としての成立が遅かったため、妙見祭の奉納品である笠鉾が出せなかった。2mもの蛇の首と畳4枚分の亀の胴体をもつ亀蛇は、いわば反骨精神から生まれたユーモアの結晶なのである。

ちなみに、妙見さんが神社になったのは、明治時代、神道で国を統一する、という政策がとられた時からである。妙見祭りの他にも6月1日の氷室祭り、7月17日の団扇祭りなどが催され、八代の文化のよりどころとなっている。


黄河からやってきた伝説の生物「河童」


妙見信仰と同じ頃、中国を渡ってきた信仰の対象に「河童」があげられる。伝説によると、中国の黄河で勢力争いに負けた河童「九千坊一族」が東シナ海を渡り、八代の前川にやってきた。500年つづく「河童祭り」は今も行われている。


「懐良親王」――八代に眠る悲運の皇子


八代には、太平記で有名な、後醍醐天皇の16代皇子懐良親王の墓がある。「陵墓」(皇室の墓)としてまつられ、菩提所である悟真寺もつくられた。また、母の小袖をなつかしんで埋めた(逆に、父の形見の小袖を埋めて霊をまつったという説もある)という「お小袖塚」や、遥か京の帝を拝んだといわれる「遥拝堰」(瀬)などの史跡も残り、八代の人々の精神のよりどころとして愛されている。

懐良親王は南北朝の戦に際し、九州の北軍(足利派)を鎮圧するために、京よりつかわされた。父の強い気性をうけついだ武将で、征西府をつくり、10数年間九州を支配したが、次第に苦戦をしいられるようになり、ついに筑後で尽きた。8才で京をでて以来、都を再び見ることもなく異郷の地に没した悲運の息子である。息子の良成親王たっての願いで古麓に陵墓がつくられた。(当時古麓城に征西府がうつされていた。)


「彦一話」――八代発伊勢経由全国行・民衆のエネルギー


八代発祥の代表的民話「彦一話」。「彦一どん」「彦一ちゃん」と八代で呼ばれるこの民話には、江戸時代、中・後期の八代城下での町人のくらしがイキイキと描かれている。機転と知恵で相手をやりこめる彦一の姿には、権力に対するレジスタンス、とんちという形で表現した民衆の反骨精神が感じられる。

ところで、彦一話は全国で名をかえ語られているが、それが広まったのは、意外にもくまもとから遠くはなれた関西であった。

当時、最大の娯楽といえば「お伊勢まいり」である。日本の観光の発祥。全国から参拝客が、わんさか集まってくる。また、当時、大阪には政府の経済の事務所があり、各藩の人々の出入りがひんぱんにあった。彼らも仕事がおわれば、ついでに、とばかり伊勢神宮へ向かう。

その付近で彦一話の辻語り(漫談)をしていたのが大阪の深沢彦八である。オチがあって面白い彦一話は、それをきいた従来の人々によって覚えられ、全国に散らばってゆく。こうしてさまざまな彦一話が各地で生まれていった。


彦一話(概略)


彦一が死んでエンマさまの前に立った。

 「お前のような悪者は血の池地獄に落とす。」


エンマさまは高い高い椅子の上に座っている。

 「お願いがあります。最後に一度だけその席に座らせてください。ついでにその服も……。」


エンマさまの服を着て椅子に座った彦一は、下のエンマさまに向かって、

 「お前は八代の彦一だろう。血の池地獄へ行け。」


エンマさまはビックリして、青オニ赤オニを呼んできた。

 「見ろ。上におるのは彦一だ。オレがホントのエンマだ。」


彦一はすまして

 「彦一はだますから、用心しろよ。」

その後、エンマさまは地獄で死に、今のエンマさまは彦一だとか。だから八代の人は、決して地獄へは行かない、と安心している。このようにして文化は語りつがれてゆく。

地方には地方にしかない財産がある。土地に根づき生きている民話、あたたかな崇拝、それらはもはや都会では見られない、貴重な宝物である。その宝物を愛しみ、守り、育てる――。そこから現代の人が忘れかけているなにかが見つかるかもしれない。