ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.003 「 阿蘇の歴史 」

講師/阿蘇神社第91代  阿蘇 惟之 大宮司

県観光連盟主催、県観光振興課後援「ふるさと寺子屋塾」熊本の歴史、文化を語り、知り、学び、伝えることを目的に毎月開催。県観光連盟発行「くまもとの旅」をテキストに、それぞれのテーマに沿った内容で、権威ある講師の先生を招き教授していただいています。

8月には阿蘇直送のとれたてトーキビをかじりながらの2時間の授業。バラエティーにとんだ質問がとびかい活気に満ちた教室となりました。その要旨をご紹介します。


今月のテーマは、「阿蘇の歴史」です。


阿蘇の里に鎮守する貴重な建造物


阿蘇神社には12の神が祀られており、その敷地は約六千九百八十四坪。神社は、山と平行に都を向いて建ち、日本国と人民の平和を見守りつづけている。様々な社殿や門があるが、中でも有名なのは二層楼山門式で知られる「桜門」。阿蘇神社と富合町の六殿宮にしかない珍しい建築様式。また、神幸門と還御門は平安期の皇居と同じ様式で、阿蘇にしかない貴重な建造物として知られている。1年に1度だけ開かれる。


天地開闢(かいびゃく)以来の阿蘇神社


阿蘇神社の宮司は、神武天皇の孫にあたる。全国平定のため各地に自分の皇子を遣わしたが、肥後にはタケイワタツノミコト健磐龍命を派遣した。世襲制によって代々「阿蘇家」に受け継がれている。その起源は西暦前に遡るほど古く、阿蘇神社の歴史を語らずして肥後の歴史は語れないとまで言われている。

阿蘇神社の宮司は、大宮司である。これは武力をもつ神社の意で、全国では阿蘇神社と出雲大社のみ。当時阿蘇山噴火は災害の前ぶれとして忌まれたため各国の社寺に平穏祈願の命が出され、その度ごとに阿蘇の神の位があがるなどして次第に勢力をもつようになった。延喜式(日本初の法典)、神明帳(皇室から直々にお供物を賜る神社のリスト)にも阿蘇神社が記されている。阿蘇は、日本初の牧狩の地としても有名。源頼朝は富士の牧狩を行うにあたり、梶原景時を勉強のため阿蘇に遣わした。これは「下野狩図」として細川公によって残され、今も神社に3幅程が現存している。


神話の宝庫、阿蘇


阿蘇の地名には阿蘇神社の大神、健磐龍命とその妃にまつわるユニークな由来や神話が数多く残る。
(1)阿蘇

当時索漠たる大自然であった阿蘇。筑紫巡行の際に景行天皇が「この国に人なきや」と詠んだのを健磐龍命と阿蘇都媛がききつけ、「私達がいるのに、何ゾ人なきや」と人に姿を変えて現れた。この"アゾ"が訛って"アソ"になったと言われる。

(2)二重(ふたえ)の峠、立野

外輪山の湖水から水を流し、田畑の作れる盆地にするために健磐龍命が峠を蹴破ろうとしたところ、二重になっていたため、"二重(ふたえ)の峠"と呼ばれてくるようになった。また、力いっぱい蹴って立てなくなったことから、"たてぬ"→"たての"という地名がついた。


深い歴史をもつ阿蘇の農耕祭


阿蘇神社の本社は290の社があり、毎年80回の祭りが催されている。何百年、何千年という深い歴史をもつ農耕祭。阿蘇の春は田家の歌い初めである旧暦1月13日の「踏歌節会(とうかのせちえ)」から始まる。

(1)田作り祭

3月の卯の祭りの期間中には、彦八井命が妃神を娶る神婚の儀で有名な「田作り祭」が行われる。花嫁の御神体には菊を描いた紙のドレスが着せられ、宮司は手さぐりで米の粉の化粧を施す。(一般客どころか、宮司自身の目にも触れない、門外不出の話である。)松明を振ってヒメゴゼをお迎えする"火振り神事"も行われ、今年の豊作を祈願する。

(2)「御田植神幸式」

7月18日に催される、通称おんだ祭りと呼ばれる豊作祈願の祭りで、田植え後の田の様子を神々が見てまわられる。4基の神輿と猿田彦、早乙女、宇奈利などの行列が青田の中を進み、神輿に早苗がうまくのったら豊作といわれる。宇奈利の捧げもつ神々の食事は地域によって異なり、郷土食を知る手がかりとしても興味深い。

(3)火焚の神事

二千数百年来の「鬼八の首」伝説に基く、霜害を払う農耕祭事。8月19日から10月16日、2ヶ月間にわたって火焚き乙女が火を焚き続ける。昔は外にでることは一切許されず、先生が火禁き殿で子供の勉強を見てくれたものだが、近年はそのきまりも大幅にゆるみ、今は登校中の孫にかわってお祖母さんが火を守っている。


このように時代とともに制度を変えながら、阿蘇の伝統の火は揺るぐことなく受け継がれている。天地開闢(かいびゃく)以来の歴史と神話が今も生活の中に根ざしている。