ふるさと寺子屋講師をお招きしてテーマに沿って語っていただく昔語り

No.001 「 菊池川流域の装飾古墳 」

講師/元山鹿博物館館長  轟木 正斗 氏

「装飾古墳」・・・・という言葉は今でこそ知られるようになりましたが、この言葉が教科書に初めて出てきたのは昭和56年のことですからまだ10年と少ししか経っていません。

石器時代から縄文、弥生時代を経て、古墳時代と呼ばれる四世紀から七世紀、八世紀初頭ぐらいの間に盛んにつくられた、祖先が残した貴重な文化遺産なのです。菊池川流域にはその貴重な装飾古墳が集中し、まさに宝庫です。


菊池川流域には古墳が286も点在している。2位の福岡でさえ58。全国屈指の文化財の宝庫。
装飾古墳とは、古墳内部の石室や石棺に彩色や彫刻で装飾されたもの(洞窟式の古い墓の「横穴」の壁面にそれらの文様や図柄をもつものを装飾古墳と呼んでいる)幾何学模様が特徴を表し、正方形ドーム式が肥後型。122もの装飾古墳がこの一帯に眠っている。さらに、122群・3000基を越える横穴墓群がひしめきあっている。菊池川流域に日本の装飾古墳の約4割が分布していることになる。


除魔辟邪が特長のチブサン古墳


国指定史跡の代表的な文化財。
特徴は
(1)彩色壁画である
(2)盛り土をした高塚である
(3)絵が墓室の内部に描かれている
(4)二つの部屋があり奥室(玄室)に石屋形がある
(5)6世紀半ばの代表的古墳
(6)群集墓ではない

最大の魅力はその不思議な壁画にあります。斬新な構図と、猛々しいまでに鮮やかな色彩はまさに六世紀のデザイナーです。奥棟室の石屋形、内壁の三角や菱形、同心円などの幾何学文様は、見方によって鳥にも原始の仮面にも連想できます。また、乳房にも見えることから「チブサン」という名がつき、「乳の神様」としての信仰を集めました。しかし、この名前の由来は、横穴式石室のルーツが朝鮮半島南部にあることから、韓国語と思われます。チプ(家)とサン(墓の尊称)の組み合わせが変化して、チブサンになったと轟木先生は推理する。

また、死者の枕元の右側の壁には、白い人物像が。悪霊の前に立ちふさがる番兵です。頭上の白い八個の円文は冥界を照らす星。また、これらの二つの壁画のように、赤青白黒黄を使った絵は呪術的意図をもつ「除魔辟邪」と呼ばれます。この二点から、葬られた人は、卑弥呼のような霊感をもった人物と推測できます。


菊池川とステータスシンボルが描かれた、弁慶ヶ穴古墳


山鹿温泉街の北方、熊入台地の上に弁慶ヶ穴はある。弁慶のような力持ちでないとあげられないような巨石に、写実的な絵が描かれている。馬が舟に乗っている。馬は菊池盆地のステータスシンボル、舟は菊池川を現している。



古墳という難しそうなテーマは、一般的になかなか入り込めないものですが、轟木先生のユニークな話術と解説で、とても身近に感じ文化財との距離を縮める一つの手がかりになることができました。



 ~ 山鹿市立博物館 ~

山鹿市中心街にほど近い小高い台地の上にあり、菊池川流域の考古学的資料や歴史、民俗資料を広く集め展示してあります。隣接してサイクリングターミナルもあり、菊池川流域の古代史探求の拠点となっています。